映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

新入社員

 まず最初に断っておきたいのは今から書くことは何が正しく、悪いか、あるいは良い悪いとか、そもそも誰かを糾弾したり評価したりするつもりもないということです。
 そのことをまず書かなければならない今の社会には少なくない絶望を感じるものの、ここに書くことは、僕の中にあるモヤモヤを書くことによって明らかにし、出来たならモヤモヤを解消したいな、という気持ちがあるからです。

 4月になって、僕が働いている会社に2名の新入社員が入ってきました。
 4月からというと、新卒をイメージするかと思いますが、僕と同じように僕が働いている会社では新卒での採用は行っておらず、2人ともが中途採用になります。
 たまたま採用時期、入社時期が区切りの良い4月になったという結果、2名が4月1日から入社しました。

 1人は結婚をしていて、乳児がおり、1人はパートナーと同棲を始めたばかりとのことです。
 仕事に関しては、まだ2週間が経ったばかりですし、研修期間ですし、評価する立場でもないで、よく分かりませんが、2人は僕がいる部署付けになっているので、仕事始めと終わりには僕がいる部署の部屋にいます。
 なので、朝だったり、休憩中だったり、仕事が終わりそうな時間に少し話をするのですが、その中で1人に対してはモヤモヤを通り越して、わかり合えないな、と思ってしまいました。

 何が分かり合えないのか。
 それは、ライフスタイルというべきもので、具体的には朝食を食べずに出勤してきていることや、週末何をして過ごしたのかという話で小さな子どもがいるにも関わらず自分が観たいアニメを観て過ごしたということだったり、それらが少しずつ澱となって、あぁ、この人とはわかり合えないな、と思ってしまいました。

 同じ部署には「男性で定時で帰る人」がいます。
 僕もその1人ではあるのですが、急いで帰る様子を見て、新入社員の1人が「○○さんは何かあるんですか?」と聞いてきたので、「(子どもの)お迎えですよ。」と言ったら、全く理解出来ていない様子でした。
 話の所々で感じる、育児家事をパートナーに任せきりの様子から、「男性が子どものお迎えに行く」ということが理解出来ないのだと思います。

 逆に僕としては、「あぁ、やっぱりこの人は理解出来ないのか。」と隣に座っているにも関わらずものすごく分厚い壁、あるいは隔たりを感じるのでした。

 僕が朝、早起きなこと、そして会社近くに住んでいることを知ったその新入社員は、起きて20分で家を出るとのことで、僕が家を出るまでの数時間、何をして過ごしているのかまるで分からない様子でした。

 また、もう1人の新入社員もわりとそそくさと定時に帰っていて、その様子から察すると、同棲を始めたパートナーに対して、「家で迎える立場」になりたいのか、あるいはならなければならない、と考えているのか、そこまでは分かりませんが、とりあえずパートナーを「家で迎える立場」になろうとしている様子が窺えます。

 僕がモヤモヤしているのは、新入社員2人ともに感じる、パートナーとの関係性です。
 僕はパートナーとは対等な立場であると思っていて、それは目に見える家事育児のバランスだったりで目に見えるものだと思っているのですが、少なくとも4月に入社した2人にはそういう考えはないのだな、と、むしろライフスタイルから、隔たりを感じるのでした。

 まぁ、僕が主夫だったということや、結婚した際には姓を妻側にした経験があるなど、今の日本の社会ではものすごく極端、あるいはマイノリティであったことも大きいのですが、けれども僕からすれば「昭和」と感じるライフスタイルを送っている一世代以上違う若者たちに、正直面食らっています。

 ここで、『わかりあえないことから』人間関係を始めるというのもあるのでしょうが、正直ただの仕事での関係だし、研修期間が終われば僕の部署からはいなくなるので、モヤモヤというか隔たりを感じながら過ごすことになりそうです。

「永遠が通り過ぎていく」

 有給休暇を1年間に5日は取らないといけないことは十分承知の仕事をしているのですが、取る必要もなく、僕が働いている会社ではコロナにかかっても特別休暇扱いではなく、有休で処理するということもあり、取るタイミングがないな、と思っていたら、上司にやんわりと有休を取ることを促されたので、今日有休を取りました。
 かといって、特に何かする予定もなかったのですが、いつも聞いているAV女優で文筆家の戸田真琴さんと少女写真家の飯田エリカさんのポッドキャスト戸田真琴と飯田エリカの保健室)を聞いていて、戸田さんが監督した映画が上映しているということだったので、観に行くことにしました。
 最初は今日金曜日に行こうかと思っていたのですが、今日から夜遅い時間になるということだったので、昨日の夜7時過ぎからの回に観に行きました。
 会社から上映しているアップリンク吉祥寺が結構遠いので間に合うかなと思って行ったら余裕で、チケットを買ったあとちょっと外で夕食を取ってから戻って、エレベーターを降りた目の前にに戸田さんと飯田さん、ゲストに来ていた映画監督の菊池健雄さんらがお話をしていたので、すごくびっくりして、話してもいないのに緊張しました。

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戸田真琴監督作品 永遠が通り過ぎていく 公式


作品データ映画.comより)
監督 戸田真琴
製作年 2022年
製作国 日本
上映時間 60分
配給 para

内容(公式サイトより)
たった一人に語りかけるように、切実で美しい言葉を手向けるAV女優・文筆家の戸田真琴。2019年、「戸田真琴実験映画集プロジェクト」と称して、自らの人生における大きな喪失のようなものをベースに、言葉と映像で語り直すことを試みた。「自分の生きてきた世界のこと、ずっと興味がなくて見たことがなかった。(でも、)自分の生きてきた史実を愛している」。生まれたのは自伝的な3本の短編。植物園で互いの宿命を解析し合う少女たちの物語「アリアとマリア」、キャンピングカーで旅に出る男女の刹那の交流を描いた「Blue Through」、監督自身の送った手紙をもとに大森靖子氏が書き下ろした楽曲を使用した喪失と祈りを描く賛美歌「M」。戸田は全作品の脚本を執筆・初監督をつとめる。1年間の自主配給による上映が話題を呼び、「永遠が通り過ぎていく」が待望の映画館での上映決定。詩的で私的な短編集は、認められない自分も照らす“賛歌”となって、きっとあなたの世界に降り注ぐ──。

感想
 上に引用した内容の通り、3つの短編「アリアとマリア」、「Blue Through」、「M」が収められています。
 上映後に戸田さんと菊池さんの対談があったのですが、そこで戸田さんが「シングルではなく、ミニアルバムのようにしたかった」とおっしゃっていたように、一つの代表的な作品が印象に残るというよりは、三つの作品を通してミニアルバムのようになっていると感じました。
 最初の作品「アリアとマリア」は出てくる人物は少ないのですが、情報量が多くて飲み込むまでに時間がかかったというか、まだ飲み込めていないのが正直なところです。
 それは、字幕があること、それも日本語だけでなく、フランス語の字幕があることも僕にとっては大きく、どうしても字幕に目を取られてしまい、それとともに、登場人物の表情や言葉、洋服などの装飾品や背景なども取り込むことになるので、それを取り込むことで自分自身のキャパシティを使ってしまい、内容そのものを飲み込むというか咀嚼するまで至らなかったように思います。
 また、直前に、飯田さん、戸田さんが目の前にいたということから来る緊張感もありました。

 続く、「Blue Through」は打って変わって、落ち着いて観ることが出来ました。
 どこで出会ったのか分からない2人の一時期を描いたもので、この作品だけで長編にすることも出来るのだろうな、と思いました。
 
 最後の「M」は大森靖子さんの「M」のミュージックビデオになっている作品で、大森さんの歌声は僕が今まで持っていた印象とはちょっと違っていて、それは多分、歌詞そのものに戸田さんが関わっていることがあるのかな、と思います。

 全体を通して感じたのは、上映後の対談でも話されていたように、知ってもらいたいけど知られたくないということや、人間に関わるのが苦手、だけど関わりたい、あるいは一面で切り取られたくないので、むしろ真逆に見えるような振る舞いをする、といった、相反するものを描いている中で、戸田さん自身の内にあるものを見せようとしているのではないか、ということです。
 映画を作って公開して、上映後には連日ゲストと対談するということ自体が自分自身を知ってもらうということでもあるので、菊池さんと話している時に観客側を見る目線がちょっと上の方を向いていて、けれど、慣れてきたからなのか、あるいは伝えたいという意思があったからなのか、少しずつ目線が下がってきて、観客とも目線が合っているという瞬間もあり、それが、戸田さんの作品、戸田さん自身の魅力でもあるのだと感じました。

 僕自身は小さな時から他人からギャップに驚かれることも多く、例えば高校の時はずっと本を読んでいたので、運動が出来ないと思われていたけれど、体育は得意でしたし、年齢も実年齢を当てられたことがなかったり、慎重な面がありつつも割とすぐに行動に移したりと、自分では全然ギャップでもなんでもなく、僕は僕でしかないのだけれど、他の人からすると一つにはくくれない部分があって驚かれたり、謎に思われたりして、それで嫌なことを経験したりもするので、そういう多面的な部分があるということを身にしみているので、今回は映画でしたが、ポッドキャストや戸田さんの書く文章、話している様子でまた戸田さんのことを知ることが出来て、嬉しく感じました。

 かといって、近づくのも恐れ多いのでそそくさと帰ったのですが。
 もう一度観たいと思う映画はそこまで多くないのですが、この作品はもう一度、近いうちにというよりは、もう少し時間が経ってから、それが数週間なのか、数ヶ月なのか、あるいは1年後なのか分かりませんが、自分自身の中で咀嚼し、飲み込めたときにまた観たいなと思う作品でした。

自分の感受性ぐらい 自分で守れ ばかものよ

 最近ずっと、というのは正確ではなくて、そこにあるというのがタイトルに書いた茨木のり子さんの「自分の感受性くらい」という詩です。

 


自分の感受性くらい


 今まではずっと、言葉・文章にすることによって自分を保つ生活をしていましたが、それが良いことなのか悪いことなのか分かりませんが、言葉にせず、文章を書くこともなく過ごしています。

 それは、精神的にストレスのあまりかからない生活が出来ているとも言えるかも知れないのですが、感受性がなくなってしまったのかも、とも思います。
 それというのも、ただ漫然と日々を過ごしていて、40年近く生きて来て、初めて、あっという間に数ヶ月が過ぎてしまったと思ったからです。

 その間には、長男が実は中学校に行っていなかった(行っていない?)ということが分かったり、僕の中では数少ない友だちが仕事の関係で関西に引っ越してしまうことなどがあるのですが、それを飲み込むこともせず、ただ流されるように過ごしている実感があります。
 ちょっと眠れないというか、僕の場合は早朝に目が覚めてその後眠れないという状態なのですが、それが数日あったものの、ダメージを受けていないことを自覚出来るほどでした。

 長男は「決まるまで」ということで、どの学校を受験するのかずっと教えてくれませんでした。
 特に深い意味はないのですが、祖父が小卒(今の小学4年生まで)なので、「高校行くの?」と聞いたら「行くよ」と言っていたので、そのまま過ごしていました。
 そして、3月1日に長男から電話があり、進学する高校が決まったと報告がありました。
 具体名を聞いても全然知らなかったその高校は、来年度(2022年度)新設の高校で、チャレンジ校(チャレンジスクール)と呼ばれる学校でした。
 去年まで学校で働いていたにもかかわらずチャレンジスクールというものを知らなかったこともありますが、長男が不登校ということに気づけなかった自分というものにショックを受けました。

 僕は子どもたちが学校に通うようになったとき必ず「行きたくなかったら行かなくて良い」と言っていましたし、今も特にそれは変わりません。
 しかし、長男は僕に対してそれを隠していて、実際に口に出したときにはとても勇気のいるような感じでした。
 それを聞いて、「あぁ、僕はなんて鈍い人間なんだ」と思いました。
 思えば長男が学校に行っていないと推測する出来ることは色々あって、やたら肌の色が白い(コロナ禍で学校行ってないから、と思っていたら、外に出ていなかった)、運動会の日に学校に行ったら見つけられなかった(校内に入れるのが1生徒につき1人だったので、僕は外から見た)等々。

 長男からの「不登校」という言葉を聞かなくても分かるきっかけはあったな、と。
 かといって、それはもう「過ぎたこと」で、高校に行くという選択を長男はしたわけで、僕はただそれを見守ることしかできないので、実際に「うまくいくといいね」と合格祝いを渡した時の長男の顔色は悪く、本当に大丈夫なのだろうか?、と思わずにはいられませんでした。
 長男が在籍する中学校では今日卒業式が行われたようです。
 長男がそこに出たのか出なかったのかは分かりません。
 僕がそこに関われることはほとんどなく、ただ漫然と日々を過ごす。

 本当に「自分の感受性」がなくなってしまったことを痛感します。
 もっと色々考えていること、感じているとかはあったはずで、それは会社でメンタルをやられて休んでいる人に対する会社の人たちの反応だったり、最近親しくなった人たちとの関係だったりするのですが、それについて言葉・文章に出来ない、むしろせずにこうして時間が漫然と過ぎていくことに、自分の変化を感じています。

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性ぐらい
自分で守れ
ばかものよ

モヤモヤの正体

 毎年年賀状を出しています。
 その多くは結婚したときに出すようになった親戚なのですが、中学の時の担任、高校・大学の友だちだったりします。
 殆どの人は1年に一度も会わずにいるので、自分自身を含め生存確認でもあるのですが、ネットではつながっていなかったり、つながっていてもネットでは連絡などをしていない人もいて、年賀状だけの付き合いになっていたとしても、自分にとってはとても大切なものになっています。
 
 去年だと、一昨年から描き始めた絵を実はネットで見ていたという人が何人かいて、嬉しく思ったり、今年だと、今回年賀状用に描いた絵だったり、今まで描いてきた絵について触れてコメントしてきてくれた人たちがいて、とても嬉しく感じました。

 

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 自己満足でもあるので、返事がない人がいてもそれは全く気にならないのですが(高校からの友だち2人はずっと返って来なかったけれど、1人は結婚してからくれるようになった)、大学の友だちからの年賀状に書いてあったコメントにモヤモヤしてしまいました。

 その友だちには何ら非があるわけではなく、単に僕自身の問題なのですが、何が書かれていたのかというと、一昨年から東北にある実家に引っ越したこと、大学時代の僕を思い出したことが書かれていました。
 引っ越したことは去年来た年賀状で住所が変わって知っていて、そこが実家の住所だったので、何かあったのかなぁ、と気になっていたのですが、家族で実家に戻りそこでの暮らしを満喫しているとのことで良かったです。
 東京から離れたいという気持ちを僕は持っているので、それが再燃したかと言えば、映画館、美術館や画材屋さんへのアクセスもよく、子どもたちも近くに住むようになって、会う頻度が増えたわけではないのですが、嬉しそうにしているので、今の生活というか生活圏には満足しているので、(豪雪地帯なので)雪がない季節に訪ねたいなとは思うものの、地方移住の気持ちは高まりませんでした。

 では、何にモヤモヤしているかというと、その友だちから見た大学生の時の僕についてです。
 その友だちは僕の「きれっきれのゼミの発言がなつかしい」と書いていました。
 そのゼミでは同じグループにいて、ディベートがメインだったので、それを懐かしんでるだけで他意は全くないのは分かった上なのですが、それに対し、「今の自分といったら…」と考えてしまいました。

 学問の世界で生きていくことは大学院に進む前から自分には向いていないと分かっていたというか、僕がいた学科の専門領域ではかなり難しいことが分かっていたので、学問を続けていれば良かったという気持ちはありません。
 それに学問は年齢は関係がないので、やろうと思えば今からでもやれるわけなので、それについては、論文という形になるかどうかは分かりませんが、何かしらやろうとは思っています。

 その友だちは僕らの代の総代で、とても優秀でした。
 実際、就職先もどんなところでもその友だちを選んだだろうと思う中、彼女らしい選択をしたと思います。
 その彼女から見えていた僕が「きれっきれ」の発言をしていたということが、モヤモヤしているところです。

 このコメントを読んで、なんというか僕自身がまるで変わってしまったな、ということを考えずにはいられませんでした。
 「きれっきれ」の発言をするような(討論する)機会自体がないということはもちろんのこと、そもそもそうやって人と関わるパワーというもの自体がないこと、そして、そのパワーは若さ故とはいえ、健康だったからこそ出来たものだったような気がします。
 寝ることに何の苦もなく、23時まで働き、9時からの授業にも出て、勉強し、本を読み、ボランティアをしていた、かつてのパワーが今ではないこと、薬を飲むことによって寝て、勉強しようとも思わず、本もあまり読まなくなった今の自分に対してモヤモヤしたものを感じてしまいました。

 それは端的に言えば、およそ15年前に自分にあったものが失われてしまったという現実を目の前に映し出されたような感じで、そこには後悔も悲しみも苦しさも混ざっていて、何よりも、今の僕自身に対し、僕自身が納得していないということが分かってしまいました。
 そんなこんなでモヤモヤしつつ、とりあえず、雪がない季節になったら、会いに行こうかと思います。

2021年の感想

もうかなりの間、自分としては多分これ以上なかったくらい文章を書くということをしていなかったこの1年。
その理由としては、2021年というこの1年「何もなかったな」ということしか思い浮かばないからなのだと思います。

何もなかった、と他の人に言えば、転職し、引っ越し、8月末頃からバドミントンを始めたので、色々あったじゃん、と言われるのだろうけれど、自分としては、本当に何もなかったというのが正直な所です。

というのも、大きな理由としては、ここ数年、なんでも良いので1年に一つは何かしらの資格を取るということをしてきたのだけれど、それが出来なかった(受けたけど勉強不足で落ちた)ということが大きく、それに加えて、文章も絵も書く(描く)気力が沸いてこないことが結構あったことも大きな理由です。
文章も絵も書く(描く)気力が沸いてこなかった理由としては、ストレスのかかり方が大きく変わったのかなと思います。

僕はあまり口に出して言うことが少なく(というか言われてすぐに言い返すことが出来ずゆっくり考えて、後からあの時ああ言えば良かったとか思う)、それを直接的な表現でなくても文章という形で吐き出していました。
絵についても、医師にも「マインドフルネスですね」と言われたように、大きくストレスがかかった状態だから描けたものが、ストレス自体を感じることはままあるものの、去年というか、転職するまでとは違うようになったので、とにかく毎日描くことによってなんとか一日一日を過ごすという状態ではなくなったのかなと思います。
今は「マインドフルネス」とか「コーピング」ということよりも、単に好きで描くという状態になっています。(なので、頻度が減りました)

仕事に関しては、自分の近くにいる人と比べてしまえばどうしても僕はあらゆる面で劣っていたり、低かったりするのですが、逆に言えば他の人と比べずにいれば、1人で生きて行くにはまぁ十分とは言えないけれど足りないわけでもない給料をもらい、自分の時間もかなりあって、それこそ、転職前は休日はひたすら寝るだけだったのが、転職後は何かしようと思い立ち、全くの未経験だったバドミントンを始める余裕も出来ました。

ちなみにバドミントンは子どもの時に好きだったなと思って、近くの社会人サークルを探して、毎週土日のどちらかで参加している感じです。
大体35歳までとかのところも多い中、初心者で年齢も超えているけれど受け入れてくれるところは、大体柔和な雰囲気のところが多く、それと、毎週やろうとするといくつかのサークルに参加することになるのですが、近場ということもあって、違うサークルでも同じメンバーのこともあって、顔見知りが出来るようになりました。

あと、自分の時間が出来るようになったといえば、全部付けているわけではないけれど読んだ本、漫画、見た映画の記録を見てみたら、去年は250作品だったものが、今年は440作品と、圧倒的に多く本を読み、映画を見ていました。
圧倒的に自分の時間が出来るようになっていて、これは今までの人生で割と良いバランスの生活が出来ているのかも知れません。

それでも、10月の下旬から1か月くらい、かなりうつっぽくなり、しんどかったのですが(直接の原因は職場の人間関係というかキャラの強さ)、それも徐々に慣れてきて、医師には来年からは薬を減らせるかもという話になっています(といっても、この間もモヤモヤする対応をされたのですが)。

仕事内容としては、すごく大変ということはないのですが、やはりキャラというか圧の強さに滅入ることがありますが、まぁ、仕事だけの関係だしと思って過ごしています。
会社のことを書くと色々思うこともあるのですが、端的に「昭和」な会社で、それに慣れるのもちょっと大変でした。

と、こうして1年を振り返ってみると、資格も取れなかったし、文章も絵もあまり書けず(描けず)、何もなかったなと思っていましたが、悲観的になるほど悪くはなかったというか、そこそこの生活を出来ているのに気づけて良かったです。

来年は落ちてしまった資格を取って、そこそこの生活が出来れば良いな、と思います。
欲を言えば、旅に行きたいな、ということと(今の仕事は長期の休みが取れないので、遠出は難しくなりました…)、今年何度も聞かれた「彼女(恋人)いないの?」という質問に答えられるようになれれば良いなと思っています。
完全に余計なお世話だし、今の時代それを聞くのはどうかと思うのですが、僕自身嘘をつくのが嫌で正直に答えると「まだ若いのに」とかなんやかんや言われるので。

最後に、今日で長男は15歳になりました。
僕の気持ちとしてはある程度区切りのついた年齢だと思っているので、一つ肩の荷が下りた気がします。

羅川真里茂『ましろのおと』

 (職場の人がずっと欠勤している上に引継ぎもあり)心底疲れ果てています。
 その中、仕事探したり(決めました。自分の中での本命は落ちたのですが、親と子どもたちは暮らす場所が近くなるということで喜んでいました。)、それに伴い引っ越しの準備したり(良い物件が見つかったものの、引っ越し自体はかなり面倒なので)、なんにもしたくないなぁ、というか、受動的にしか何も出来ない状態が続いています(骨の髄までという表現がありますが、脳の奥底までどんよりした感じです)。
(お金で解決するなら、引っ越しも業者にほぼ任せようかなぁ、とか考えたりしてます。)

 で、なんか本当にもう、受動的にしか動けなくなっているので、日本語のアニメでも、と、評価が高かったので観てみたところ、とてもよかったので、漫画も全巻購入し、一気に読みました。


ましろのおと

 

TVアニメ『ましろのおと』公式サイト

ましろのおと|月刊少年マガジン|講談社コミックプラス


内容講談社コミックプラスより)
津軽三味線を背負い、単身、青森から東京へやってきた津軽三味線奏者・澤村雪。師でもあった祖父を亡くし、自分の弾くべき音を見失ってしまった雪だが、様々な人々と出逢いながら今、自らの音を探す旅を始める。

感想
 最初にアニメから入ったのが自分としては良かったです。
 というのも、アニメだと、三味線の音が流れるからです。
 漫画だとどうしても音は想像するしか出来ませんが、アニメでは音があるので、三味線の音がありつつ物語が進むので、すんなりと物語の世界に入ることが出来ました。
 逆に、制作している人たちは、音で表現しているので、かなり大変だろうなと想像します。

 アニメを見ていたら、続きを早く知りたい、と思い、漫画を(大人買いして)読んだのですが、最初にアニメを見てから漫画を読み始めたので、漫画での表現もなんとなく音のイメージが出来て、一気に読むことが出来ました。

 ここまでハマった理由としては、まず主人公の澤村雪が終始津軽弁を話していることがあります。
 僕の父は青森出身で、特に仕事を定年退職してからたまに青森に行っているのですが、小さな頃僕が一緒に行ったとき、普段東京の言葉を話している父が津軽弁で話をしていて、何を話してるのか全然分かりませんでした。
 作品中でも、雪に向かって「外国人?」という反応が描かれていますが、僕の中でもそういう印象で、津軽弁は本当に、全く違う言語の様に聞こえます。
 で、作品を観て、読んでいるうちに、津軽弁を少しずつ理解できるようになり、青森ハーフ(?)の僕としてはなんとなくうれしく感じました。
 父が話している姿を見ることはないのですが、なんとなく自分自身のルーツを辿れたというような感じのうれしさです。

 また、三味線自体にも親しみがあって、実家には母の三味線と琴があり、僕が小さな頃は母がたまに弾いていました。
 僕自身は楽器は弾けないのですが、弾いてみたいなという気持ちがあって、中学生の時だったか、ギターには手を出したことがあるものの、結局すぐに飽きてしまいました。
 で、この「ましろのおと」を観て、その中で流れる音と、津軽三味線の歴史を知り、自分も弾いてみたいな、と思いました。

 津軽三味線の歴史は決して明るいものではないのですが、そのことに目をそらさずに描いている点がとても良く、また、しようとすれば簡単に出来るであろう「恋愛」にも持ち込まないところが良いなと思います。

「グリーンブック」

 観たいなぁ、と思っていた映画がAmazonで観られるようになっていたので見ました。
 最初は今自分が置かれている状況から(転職(第一志望に落ちた)と仕事(人がいない。休みたい。))、気軽な映画をと思っていたのですが、引き込まれていきました。

 


グリーンブック(字幕版)

 

映画『グリーンブック』公式サイト

作品データ映画.comより)
原題 Green Book
監督 ピーター・ファレリー
製作年 2018年
製作国 アメリ
上映時間 130分
配給 ギャガ
映倫区分 G

ストーリー(公式サイトより)
時は1962年、ニューヨークの一流ナイトクラブ、コパカバーナで用心棒を務めるトニー・リップは、ガサツで無学だが、腕っぷしとハッタリで家族や周囲に頼りにされていた。ある日、トニーは、黒人ピアニストの運転手としてスカウトされる。彼の名前はドクター・シャーリー、カーネギーホールを住処とし、ホワイトハウスでも演奏したほどの天才は、なぜか差別の色濃い南部での演奏ツアーを目論んでいた。二人は、〈黒人用旅行ガイド=グリーンブック〉を頼りに、出発するのだが―。

勝手に五段階評価(基本的に甘いです)
★★★★★

感想
 アカデミー賞作品賞助演男優賞マハーシャラ・アリ)、脚本賞を受賞しているので、その時点で名作だということはわかるのですが、僕は実話をもとにした作品に弱いということもあり、この作品も例外でなく、心動かされるものがありました。

 1960年代の初めに、人種差別の激しい南部にコンサートツアーに行く黒人ピアニストのドクター・シャーリー(マハーシャラ・アリ)。
 その運転手兼用心棒として雇われたトニー・リップ(ビゴ・モーテンセン)。

 公式サイトに書かれていないことを書くと、トニーはイタリア系で、最初、黒人たちを「汚物」かのようにとらえています。
 家の修理に黒人の作業員たちが来て、妻が彼らに出したグラスをゴミ箱に入れ、さらに彼らを「ニガー」と呼ぶ。
 なので、ドクとの最初の面談でも彼に「雇われる」ということ自体を拒むのですが、お金がないためにその仕事を受けることになります。

 この物語が作品として優れている点は、二人が抱える二重性にあると思います。
 ドクはピアニストとして優れていて、聴衆は「白人」たちです。
 けれど、ピアニストとしては優れていても「黒人」として扱われます。
 では、「黒人」のコミュニティに入るとどうなるのかというと、それはそれで「ピアニスト」ということで、お高くとまっているようで、疎外されてしまうし、疎外感を感じてしまう。

 また、トニーは「白人」なので、南部に行こうが差別の対象にならないのかと言えば、そうではなく、イタリア出身ということで差別される。
 この二重性、あるいは逆転現象が起こっているという点を明確に描き出していることが、この作品の優れたところなのだと思います。

 差別する側にも理由があるとかではなく(それは描かれていません。この作品では差別を絶対にダメなことだという点が貫かれています)、差別されていないかと言えば、実はそこにも差別の構造があって、差別され、あるコミュニティではもてなされるけれど、他の場面ではことごとく人間としては扱われなかったりする。
 そして、その差別に対してある時は受け入れたり、折衷したり、断固として拒否をする(ので、攻撃も受ける)。

 最初は黒人をニガーと呼び、「汚物」かのようにしていたトニーは、単に身近な存在に黒人がいなかったという、ある意味無垢で純粋な面を持ち合わせていたからこそ、ドクとの旅を通して、ドクを知るようになり、彼が受ける差別は不当であると、その差別に向き合うことになります。

 誰かを差別するとき、そこにはいつも「知らない」ということが同居していると思います。
 ある特定の国や地域から来た人たちを差別したりするとき、そもそも、「〇〇人」と言っている時点で、その「〇〇人」が身近にいないのだろうな、と思います。
 〇〇は例えば「障害者」とかでもいいのですが、障害を持った人が身近にいないんだろうな、と思います。
 もし、身近に障害を持った人がいれば、そもそも誰かのことを「障害者」とひとくくりにすることは出来ないとわかりますし、もしできたとしても、それはその人を表す一部分であることが分かるはずです。

 例えば、僕は日本人ですが、「日本人は△△だ」みたいなことを言われたとして、確かにそこに僕は当てはまるかもしれないけれど、それは僕を表すほんの一部分にしかなりません。
 けれど、この社会や人々は、「〇〇人」だとか、性別だとか、超ざっくりしたくくり方をしてとらえようとする。
 その方が「楽」で「簡単」なのでしょうが、そんなに簡単に人のことは理解できないのが現状で、その簡単に理解できないこと、そして少しずつドクのことを知ったからこそ、トニーの黒人への認識が変わっていくという、その様がとても良いな、と思いますし、「楽」「簡単」だからと誰かをひとくくりにして語ろうとしてしまう自分たちへの戒めにもなっていると感じました。