「ビューティフル・デイ」
※新しい仕事の拘束時間が長いため、今後毎日の更新が難しくなりそうです。
僕の生存確認で読んでいる人がいましたら、TwitterかInstagramを覗いてもらえたらと思います。
新聞のチェックしていて、ウォッチリストに入れていた作品で、Amazonプライムで観られるようになっていたので観てみました。
孤独な2人、心の奥を繊細に 「ビューティフル・デイ」リン・ラムジー監督 映画大好き!:朝日新聞デジタル
ビューティフル・デイ(字幕版)
映画「ビューティフル・デイ」公式サイト 2018年6/1公開
作品データ(映画.comより)
原題 You Were Never Really Here
監督 リン・ラムジー
製作年 2017年
製作国 イギリス
上映時間 90分
配給 クロックワークス
映倫区分 PG12
ストーリー(公式サイトより)
元軍人のジョーは行方不明の捜索を請け負うスペシャリスト。ある時、彼の元に舞い込んできた依頼はいつもと何かが違っていた。依頼主は州上院議員。愛用のハンマーを使い、ある組織に囚われた議員の娘・ニーナを救い出すが、彼女はあらゆる感情が欠落しているかのように無反応なままだ。そして二人はニュースで、依頼主である父親が飛び降り自殺したことを知る―
勝手に五段階評価(基本的に甘いです)
★★★☆☆
感想
最近僕が観た映画の中で、ホアキン・フェエニックスが出てくる作品と、タイトルに「ビューティフル」とつくものはどうやら鬼門のようです。
ホアキン・フェエニックスが主演でも「ドント・ウォーリー」は暴力的なシーンはないのですが、「ジョーカー」は暴力的なシーンが出てきますし、なんといっても、今回の作品もそうなのですが、ホアキン・フェエニックスが演じる役はみんな「病んで」います。
僕も病んでいるので、共感してしまって、観ていると結構苦しくなってしまいます。
そして、タイトルの「ビューティフル」ですが、「ビューティフル・ボーイ」もそうなのですが、確かにビューティフルと言えるのかも知れませんが、こちらも「病んで」います。
ホアキン・フェエニックス×「ビューティフル」というタイトルに注意すべきでした…。
ホアキン・フェエニックスが演じる「ジョーは行方不明の捜索を請け負うスペシャリスト」と紹介されていますが、平気で人を殺していきます。
しかも、鈍器で。
銃器で遠くからとかの描写だったらまだましなのですが、鈍器で頭を打つシーンが繰り返されるので観ているのが厳しかったです。
最後の方にあるシーンも生々しくてショックを受けたのですが、逆にそれがタイトルの「ビューティフル・デイ」ということにつながっているのかなと思いました。
が、内容としては、鈍器で殺しまくることもそうですが、さすがに表に出てはいけない人たちに対してだとしても、あまりにも「足」(証拠)を残しすぎているのが気になりました。
それにしても、「ジョーカー」を観たあとだからと言うこともありますが、体格がまるで違っていて、これだけで、ホアキン・フェエニックスはすごい役者だなと痛感しました。
出雲大社・松江城・小泉八雲記念館
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旅4日目、この旅もついに後半に入りました。
萩に泊まっていたのでそこから、出雲大社に向かいました。
益田駅から特急に乗って出雲市駅に向かい、そこからバスで出雲大社へ。
朝、かなり早い時間に出たのですが、距離があるからか、結構時間がかかってしまいました。
伊弉冉尊の像にはちょっと驚きましたが、厳かな感じがとても良かったです。
でも、鹿島神宮に慣れている自分としては、鹿島神宮の方がなんとなくコンパクトで良いかな、という気持ちになりました。
友人からオススメされていたおそば屋さんがあったのですが、並んでいたのと、次の予定を考えて、移動を優先し、松江へ。
松江駅の観光案内所で聞いてみたら、観光バスがでているということだったので、それに乗り、松江城へ。
今回、かなりの数の城に行きましたが、国宝だけあって、他の城とは比べられないくらい良かったです。
何が良かったのかというと、内部がそのままだったことです。
今回の旅で訪れた他のお城はどこも「昭和に再建しました」という感じだったのですが、松江城はそのまま残していることがすぐにわかって、日本の(特に古い)建築物が好きな自分としては、内部がコンクリートなどで埋め尽くされることなく残されているのがとても良かったです。
(逆にバリアフリー対応はできていませんが)
ちなみに、松江城に入る際、武家屋敷と小泉八雲記念館のセット券を購入しようとしたのですが、窓口の方に「間に合わないからやめた方が良い」と言われ、内心「えー、僕ささっと見ちゃうから間に合うと思うんだけど…」、と思ったのですが、最終的には正解でした(と言っても、小泉八雲記念館は行ったので10円安くなっただけ)。
まぁ、「間に合わない」と言われたことで逆にゆっくり見ようという気持ちにもなれ、興雲閣をゆっくり見ることもできました。
ここは無料で見学出来、この時代の洋館も本当に素敵でした。
大体建てられたのが、僕が通った大学の本館と同じ頃なんじゃないかと思うのですが、久しぶりにその時代の建物の中にいられたのがなんとなく幸せな気持ちになりました。
その後、武家屋敷は外から見て通過して、小泉八雲記念館へ。
ここで改めて小泉八雲記念館の入館料を払ったら、セット券よりも10円安くなりました(なので、時間がある人はプラス10円で武家屋敷も見学出来ます)。
小泉八雲記念館 | Lafcadio Hearn Memorial Museum
閉館時間も迫っていたので(といっても1時間くらい)、逆にもう他の所は回れないと諦めて、閉館までじっくり見学させてもらいました。
恥をさらすと小泉八雲の作品ってまともに読んだことがないのですが、何故小泉八雲の写真は右側から撮ったものしか殆ど残っていないのか、あるいはどういう経緯で日本に来たのか、日本でどういう生活をしていたのかということが詳しくわかって楽しかったです。
閉館時間ころまでいたら、駅まで向かうバスはもうなくて、歩いてゲストハウス(https://indoor-lodging-1009.business.site/)へ。
翌日の朝食を買いにスーパーまで行き、宿へ戻る途中、夕食で出雲に来たのに食べていなかったので出雲そばを食べました。
ヨシタケシンスケ『ものは言いよう』
先日書いたヨシタケシンスケさんと伊藤亜紗さんの『みえるとかみえるとか 』、すごく良くて、ヨシタケさんのエッセイ(?)が出ていたな、と手に取ってみました。
ものは言いよう
内容(白泉社より)
数々の絵本賞を受賞している大人気絵本作家、ヨシタケシンスケ。その絵本創作の秘密がすべて詰まったインタビュー&イラスト集。 ユニークな「ヨシタケシンスケのしくみ」「ヨシタケシンスケができるまで」「ヨシタケシンスケの一日」などのイラストや、 スケッチ、アトリエ、本棚、お気に入りの本などの写真も満載。 ファンはもちろん、絵本を好きな人も楽しめる保存版の1冊です。
勝手に五段階評価
★★★★☆
感想
内容は、エッセイというか、今までのヨシタケさんの仕事を振り返るものになっていて、読者から寄せられた100の質問に答えていたり、どんなきっかけでデビュー作であり代表作の『りんごかもしれない』を出版することになったのか、ということから始まり、今まで(2019年秋まで)出した作品についてもどういう気持ちやきっかけで描いた作品なのかが載っています。
全部の作品紹介を読んでいて、やっぱりこの2年弱は子どもたちと離れたこともあって読んでいない作品があって、「子どもがいたらなぁ」なんて思ってしまいました。
けれど、一番良かったのは、これまでどんな本に触れてきたのか、どんな本に影響を受けてきたのかということと、どういう気持ちでつくっているかというについてで、ちょっと長いですが、すごく印象的だった箇所を載せてみます。
僕が好きなヘンリー・ダーガーさんのエピソードも、要は変なおじいさんの描いた作品が、たまたま世に出す手段を持った人が見つけたから世に出たけれども、あの人の話で一番大事なのは、世の中にはああいう人がいっぱいいる、世の中に出ないままゴミとして処分されている創作物がたくさんある、ということなんですよ。その中にはどんな文豪でも書けない素晴らしい作品があるはずで、世の中に残らない名作はたくさんある。世の中に残るのはごくごく限られた幸運があったものだけであって、残らないものの方が断然多いし、残したくても残せない人がいっぱいいる、ということを言いたいんですよね。
ヨシタケさんはヘンリー・ダーガーさんに影響されたと書いていて、そのヘンリー・ダーガーがどういう人だったのかというと、もの凄い量の創作物が死後見出されて評価されたという人です。
これは、去年最も影響を受けた坂口恭平さんも『まとまらない人』の中で似たようなことを書いていて、ただつくるしかないんだ、と。
それを評価してくれるか、お金になるか関係なく、そんなことを考えることなく、ただつくること、ということを書いていて、だからこそ僕も今までただただノートやメモ帳に書きためていたものを、とりあえず出しちゃえって、Instagramに自分で撮った写真と一緒に短歌や詩を載せるようになりました。
ヨシタケさんと坂口さんの違う所は、ヨシタケさんはやっぱりそれでも認められたいとか褒められたいって言う気持ちがあるということを書いていて、坂口さんはそういうのはダサいと言っているところです。
僕はダサいと言ってもらったことで外に出せるようになったけれど、本音としてはやっぱり出したからには認められたり、褒められたいな、という気持ちがあります。
まぁ、でも、こうやって、僕もまたイラストや絵ではありませんが、つくり続けようと思いました。
関門トンネル・千畳敷・萩
旅3日目、錦帯橋・吉香公園・岩国城を訪れた翌日、朝から関門トンネルに行きました。
泊まったゲストハウス(uzuhouse | 関門海峡を望む山口県下関市の絶景ゲストハウス!)から関門海峡が近く、前夜に夕食取った喫茶店のおじさんが「ここから15分くらいだよ」と教えてもらったので、朝食後に関門トンネルに向かいました。
関門トンネル人道 – 北九州市観光情報サイト|北九州の観光&イベント情報はぐるリッチにおまかせ
通行料とか取られるのかな、と思っていたのですが、特にそういうこともなく、本当に単なるトンネルでした。
ジョギングして往復している人などもいて、中々興味深かったです。
今回の旅は九州ではないので、中間地点まで行ってみて(約400m弱)、引き返しました。
トンネルを出たら素敵なご婦人に声をかけられ、「下関は良いところよ」と色々教えてもらったのですが、ちょうど来たバスに乗り、下関駅へ。
ここから長門の千畳敷へ向かいました。
千畳敷は最寄り駅からどうしても車を使わないと行けないところにあったので、贅沢をして、タクシーを使いました。
次の電車まで1時間ほどだったので、10分ちょっとで行き、10分くらいいて、また駅まで戻り、駅周辺を歩き、「何もないなぁ」と思っていたら、一軒だけおしゃれなお店が。
電車まで時間があったので昼食を取り、そのままちょうど電車に良い時間でした。
そして向かったのが、萩です。
あんまりよく知らなかったのですが、世界遺産にもなっているとのことで、城下町を歩きました。
城下町とともに良かったのが、藩校明倫館です。
中の教室の様子など、風情があって、中庭もとても素敵でした。
僕の祖父などはこういう建物の学校とかで過ごしたのかなぁ、と(僕の祖父は2人とも明治生まれ)思ったりしました。
その後は、萩のゲストハウス(萩ゲストハウスruco | 山口県萩市に宿泊)に行き、近くにあった大分背中の曲がったおばあさんがやっているお好み焼きやさん(「鉄板焼きふ~ふ~」 – 萩商工会議所青年部)で、そういえば今回の旅で広島にいる間にお好み焼き食べなかったな、と思い関西風お好み焼きを食べました。
ヨシタケシンスケ、伊藤亜紗『みえるとかみえるとか 』
かなり久しぶりに絵本の紹介です。
前から気になっていたのですが、子どもたちも今はいないし、手に取るか悩んでいたのですが、講師をしていたときの同僚が読書週間に紹介していたり、ずっと読もうと思っていたのですが、SNS上で紹介されているのを見て、(ヨシタケシンスケさんの作品はどれもそうですが)特にこの作品は内容的に子どもがいなくても持っていて良いか、ということで手に取りました。
みえるとか みえないとか
内容(アリス館より)
宇宙飛行士のぼくが降り立ったのは、なんと目が3つあるひとの星。普通にしているだけなのに、「後ろが見えないなんてかわいそう」とか「後ろが見えないのに歩けるなんてすごい」とか言われて、なんか変な感じ。ぼくはそこで、目の見えない人に話しかけてみる。目の見えない人が「見る」世界は、ぼくとは大きくちがっていた。
勝手に五段階評価
★★★★★
感想
タイトルの通り、目が見えるかどうかという端的には「視覚障害」を扱ったテーマでもあるのですが、もっと広く「ちがい」について描かれていました。
なので、特に良いな、と思ったのは次の文章です。
からだの とくちょうや みためは のりもののようなものだ。
「その のりものが とくいなこと」は かならず あるけれど、
のりものの しゅるいを じぶんで えらぶことは できない。
そう、自分の身体の特徴や見た目って、「のりもの」のようなものだな、と。
でも、その「のりもの」を自分で選ぶことは出来ない。
僕という身体には苦手なものや出来ないこと、やろうとすると故障してしまうことがあって、それで苦しくなってしまうことがある。
けれど、「『そののりものがとくいなこと』はかならずある』。
僕の身体にとって得意なことで言えばたとえば書くことでしょうか。
書くことは本当に特に苦もなく、好きなことなのでいくらでも色んな文章や言葉が出てきます(と言っても物語は書けませんが)。
身体って、「のりもの」みたいなものなんだよ、自分ではその種類を選べないんだよ、と言われたことで、なんだかすごく楽になりました。
みんなと同じような形の「のりもの」にしなくちゃいけないとか、自分の身体だから自分でコントロール出来ると思っていたけれど、のりものだから出来ないものは出来ないし、うまくコントロール出来ないこともある。
例えばバスにスポーツカーのように高速で走らせることは出来ないし、飛行機のように空を飛ぶことは出来ない。
僕はそうやって、速く走らせようとしたり、無理矢理飛ばせようとしていたのかな、と。
そもそも自分の身体がバスだったらそんなこと出来ないのに。
むしろバスだったら、沢山の人たちを乗せることが出来たり、定時運行したり、毎日同じルートを安全に人を運ぶことが重要で、求められていることなのに。
この絵本、実は最初に話しをもらってから(企画してから)3~4年経ってようやく出来たとのことなのですが、だからこそ、「視覚障害」だけでなく、絵本だけれども子どもだけではなく、元同僚のように大人にも響く作品になっているのだと思います。
錦帯橋・吉香公園・岩国城
宮島に行き、厳島神社と弥山に登った後、岩国に行きました。
岩国に向かった理由は錦帯橋を見るためです。
【錦帯橋】岩国市公式ホームページTOP
錦帯橋自体は岩国駅からバスが出ているのですぐに行けたのですが、着いたらびっくりしました。
宮島の厳島神社の大鳥居と同じく改修工事中でした…。
アーチの美しさはわかったものの、1日で2回連続とは、さすがにがっかりしました。
まぁ、何にも調べずに行ったからなのですが。
でもまぁ、仕方ないので、錦帯橋を通ったのですが、錦帯橋の通行だけでなく、ロープウェイと岩国上へのセット券も販売されていました。
せっかくなので、またもやロープウェイと城へ。
実は、ここで一番良かったのはロープウェイ乗り場まで行く吉香公園一帯の雰囲気が良かったことです。
天気も良かったので、のんびり歩きながらロープウェイ乗り場に行き、そこから歩いて(と言ってもすぐ)、岩国城へ。
城の中はいかにも「昭和につくりました」感がにじみ出ていたのですが、天守頂上からの眺めがとても良かったです。
岩国一帯、海まで見渡せるとても良い景色でした。
と同時に、城があった当時の人たちはここまでどうやって荷物を運んだのだろうかとか、ここまで高いと水の確保も大変だよなとか、(まぁ、それもあってあんまり長くは使われなかったようですが)当時の人たちのことをぼんやりと考えました。
その後、お母さんと一緒だった1歳半くらいの男の子とちょっとおしゃべりしながらロープウェイを降り、吉香公園をグルッと回ってから、バス停に戻りました。
が、次の岩国駅までのバスが1時間後とかだったので、調べたら途中までバスに乗り、そこから錦川鉄道の西岩国駅に行き、電車に乗って、清流新岩国駅へ。
清流新岩国駅からは新幹線の新岩国駅が近いので、一気に下関まで行きました。
(ちなみに通ったルートしては、宿が下関だったので、一旦小倉まで新幹線で行き、下関に戻りました)
下関で泊まったゲストハウス(uzuhouse | 関門海峡を望む山口県下関市の絶景ゲストハウス!)は駅から遠かったので、ここでもバスに乗って行きました。
駅から遠い!と思ったのですが、結果的には翌日の行動的にも、そして夕食をとった近くにあった喫茶店のおじさんともふたりゆっくりお話出来て良かったです。
岩城けい『 さようなら、オレンジ』
新聞に載っていた書評を読んで手に取っていた作品です。
いつか読もうと思ってずっと置いてあったのですが、旅の中で読みました。
さようなら、オレンジ (ちくま文庫)
内容(筑摩書房より)
オーストラリアの田舎町に流れてきたアフリカ難民サリマは、夫に逃げられ、精肉作業場で働きつつ二人の息子を育てている。母語の読み書きすらままならない彼女は、職業訓練学校で英語を学びはじめる。そこには、自分の夢をなかばあきらめ夫について渡豪した日本人女性「ハリネズミ」との出会いが待っていた。第29回太宰治賞受賞作。
勝手に五段階評価
★★★★★
感想
2019年に読んだ小説で、ベストを選ぶとしたらこの作品を選ぶと思います。
(チョ・ナムジュさんの『82年生まれ、キム・ジヨン』、瀬尾まいこさんの『そして、バトンは渡された』と迷うところですが)
何故ベストなのかというのは、解説で小野正嗣さんが書いている通りなのですが、日本人による作品なのに「難民」が主人公であること、母語と違う言語、母国から離れて暮らす「移民」の物語であることです。
ついにこの時が来たか、と。
崔実さんの『ジニのパズル』のように、日本の中で日本人と同じように生きてきた人が抱える「国」や「文化」「言語」の違いやそこから生まれる「差別」を描いてきた優れた作品は出ていたものの、まだ日本人が他国を背景にして、言語や文化、差別の中で生きる人を描いた作品は出てこなかったように思います。
そして、単に「日本人」がそれを書いた、というだけでなく、この作品では、サリマというアフリカ出身の主人公を、読んでいる者のすぐ隣りにいる「自然な」存在として描かれています。
例えば、僕にとって印象的だった場面を載せてみます。
失うかも知れない、サリマは息子たちが父親に駆け寄るところを想像した。そしてさらに驚いたことには、もしそうなっても、自分ははじめからひとりぼっちだったんだから何もかわりはしないという考えが頭をかすめたことだった。いつくしんで育ててきたつもりだが、結局自分の持ち物ではないのだ。子供なんて、と。それでも、失うことは哀しかった。
突然いなくなった夫。
二年経ち、必死に働き、子どもたちを育ててきたサリマ。
突然夫から連絡があり子どもたちに会わせろと要求され、そして、子どもたちを引き取る、と言う。
その時のサリマの心情です。
僕は、一人で働き育てていたわけではありませんが、主夫として子どもたちを育てていました。
そして、それをある日「突然」失いました。
失ったことはとても哀しい出来事です。
けれど、「自分ははじめからひとりぼっちだったんだから何もかわりはしない」という気持ちも同じように持っています。
そして、実際に子どもの内の一人が父親の元に行ってしまったのですが、その時のサリマの心情も迫るものがありました。
でも、いまのサリマに必要なものは、自分を受け入れること、そして走り出すことなのかもしれない。行動が先で結果はそのあとからついてくるものなのだと理解するには、まず労働することを体に覚え込ませなければならなかった。労働で鍛え上げられたいまのサリマにならわかる。自分で立ち上がるしかないのだ。
「行動が先で結果はそのあとからついてくるものなのだと理解するには、まず労働することを体に覚え込ませなければならなかった。」という言葉。
労働は何でも良いと思います。
とにかく動くこと。
「行動が先で結果はそのあとからついてくる」。
それを理解するためにはまず、「労働」し、「体に覚え込ませなければならな」い。
サリマはアフリカ出身の「難民」で、僕とは全く違う環境に置かれています。
僕とサリマとの共通点はほぼありません。
けれど、こんなにも「隣りにいる」と思わせる。
ついに、こんな作品が出てくる時代になったんだ、となんだかとても嬉しい気持ちになりました。