映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

財務省で「税と社会保障の一体改革」の説明を受けてきました。

昨日は、会員になっている、NPO法人ファザーリング・ジャパン向けに、財務省の方々が今進めている「税と社会保障の一体改革」についての説明の時間を設けてくださるということで、一緒に伺わせて頂きました。

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↑セキュリティーが甘くて結構びっくり。

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↑国際会議場という名前の場所(外国から来た財務関連の役人たちと話し合いをする場所とのことです)で総括審議官以下合計4名から説明を受けました。

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↑ファザーリング・ジャパンからは、学生含め13人が参加しました。

なぜ、ファザーリング・ジャパン向けに説明があるかというと、今回の改革で消費税増税を行って得た税金を何に使うかというと、子育て関連として年7000億円の目的化税ということになっているからです。

なので、特に現役子育て世代に、直接説明したいということのようで、前回はファザーリング・ジャパンの事務所に来られ、今回は、こちらから伺う形になりました。

話の内容はというと、最初40分ほど広報の方から、今回の改革の目的、内容の説明があり、その後、1時間20分ほどを使って、参加出来なかった人の質問を中心に、その場に来ている人たちから質問や意見を言う、という流れでした。

多岐にわたる内容だったので、どんな意見が出たのかを逐一ここに書くことは出来ませんし、各論に対して意見を書いているととてつもなく長くなってしまうので、今回の説明と話し合いの中で僕がひっかかった2つのことを書きたいと思います。

(話の流れ的に、当然僕にも発言の機会があると思っていたら、「時間」ということでスパッと切られて、話すチャンスがなかったので、言い方は違えど話そうと思っていたことです。)

一つ目は、審議官が言っていた、「公平性」というものです。

今回のような場合、いかに「公平性」を保ちながら税を課すかを考えるけれど、今回は「若い人も年配の人もみんなに一律にかかるのが公平だという観点」で消費税だそうです。

これが僕にはすごく引っかかりました。

確かにそれは、ある意味の公平性かもしれませんが、「みんなに一律にかかる」ということは、お金持ちの人も貧困状態にある人もみんな一律にかかると言うことです。

僕が課税の際に考える「公平性」とは、お金を持っている人はその分多く払い、お金のない人は少なく、というのが公平であるというものです。

税率は、「諸外国と比べても遜色がない」ということをどの場面でも強調されますが、「貧困問題」を研究している人達には周知のことですが、日本は税金や社会保障などの政府の介入をすると逆に貧困率が上がる(高福祉国家と名高いスウェーデンは、政府介入前は日本より貧困率は高いのですが、介入後は世界で2位の貧困率の低さになっています)、というかなり珍しい国です。

つまり、それは、税金がうまく再分配されておらず、社会保障としての機能を果たしていない、ということです。

なので、税率としては諸外国と変わらないとしても、「社会保障としての税というものそのものがそもそも機能するのか」という疑問があるとともに、機能していないのならば、一律に税をかけることは、公平とは逆の結果になるのではないか、と思います。

もう一つは、これは、ファザーリング・ジャパンの会員もそうなのですが、前提としている家族モデル自体がもはや今後通用しないのではないか、ということです。

このことを指摘されている方もいらっしゃいましたが、現在では既に「子どもを授かること」以前に、「結婚」も出来ない(しないではありません)人が多くなっている中で、どんな形であれ家族モデルを前提にして進めることにはかなりの限界があるのではないか、ということです。

国のビジョンとして、子どもを生み、育て、大切にする社会を目指す、というものがあるのであれば、家族モデルを用いることは有効かも知れませんが、それがない中でどんな家族モデルを用いても「時代遅れ」観がつきまといます。

ファザーリング・ジャパンの会員は基本的にみんな子どもがいる人たちですし、説明してくださった官僚の方々も(周りにそういう人ばかりでしょうから)「結婚」や「子ども」というのは極当たり前の状況なのでしょう。

それを当たり前のこととして話が進んでいることに僕自身はかなりの疑問というか危惧を抱きました。

最後に、これは、今回の話の核・中心になるものではなかったので、口を挟むことまではしませんでしたが、最近の報道のせいか、官僚やその他の参加者たちの「生活保護」への認識(そこから想像する世間一般の認識)はかなり危ういというのを痛感しました。

官僚をやるような人達は周りにそういう人がいないからでしょうが、別に差別的な視点があるのではないのですが、簡単に「本来必要のない人は受給出来ないようにしなくてはならない」というようなことを言っていました。

詳細(資料)を載せてまでここでは反論はしませんが、生活保護はそもそも、生活保護水準にある人の中でも10%の人たちしか受給していません。

しかも、その受給している人たちの中で、「不正受給」は0.4%です。

実数はもっとあるのではないか?という指摘は当然あるでしょうが、先日来報道されている有名人の母親はそもそも「不正受給」ですらありません。

また、これも官僚やファザーリング・ジャパンの会員なので、疑問に思わないのでしょうが、「互いの扶養義務」を遂行できる親子関係というのを前提にこの問題を考えてしまうことにかなりの危惧を感じます。

ファザーリング・ジャパンは「笑っている父親を増やそう」というスローガンを掲げるNPOなので、会員の殆どは自分の子どもだけでなく、実の両親とも良好な関係にあります。

良好な関係にあるとしても貧困状態にある親族を扶養するにはかなり大変なのに、「良好な関係」を前提として「扶養すべき」と考えてしまうことはとても危険な事であると思います(血がつながり、愛情を持って育てたとしても、その子どもがその親を殺そうとするほどの憎しみを持つことはあります)。

また、家族関係が良好なことも一因としてあるのかもしれませんが、子や孫への贈与に関しても違和感をまるで感じていないようでした。

資産があり良好な関係にある親子は、資産も受け継ぐことが出来、順調に資産を増やしていける代わりに、貧困状態にある親族がいる場合には、関係性がどうであれ扶養させられ、自分の負担も増えるのです。

これで良いのでしょうか?

家族モデルが通用しない、ということを書きましたが、僕自身は、課税も資産も個人および一代限りにすべきだと考えていて、それを前提にした課税を行えば、僕がここに書いた批判点もかわせるのですが…。