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映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

NHKスペシャル「産みたいのに 産めない~卵子老化の衝撃~」を見て思うこと。

一昨日の夜、NHKスペシャルで「産みたいのに 産めない~卵子老化の衝撃~」というものを放映していました。

NHKスペシャル「産みたいのに 産めない~卵子老化の衝撃~」

不妊」に関しては、既に子どもを授かっていること、3人も授かっているので、それだけで、議論を阻む大きな要因になっているので、書くことを避けていました。

「既に子どもがいるから、お前はそんなことを言えるんだ!」と思う方は、読まない方が良いかも知れません。

番組自体の内容は、再放送するかも知れませんし、実際に観た方が良いと思うので、あくまでも僕が書くのは番組を見て「考えたこと」です。

具体的には、2つのことを考えました。

①自分たちの身体のことへの知識・情報への乏しさ

精子は新しく作られ続けるが、卵(らん)は生まれた時のストックを排出するので、年齢と共に質が低下する」、「不妊の原因の半分は男性にある」というような、当たり前とも思えることも周知されていないようです。

僕が生まれた時、僕の母親はいわゆる「○高」(まるこう)でした。

「○高」というのは、「高齢出産」ということです。

35歳以上であれば、妊娠する可能性はもちろん低くなっていますし、出産時の母子への影響も大きく、胎児の「染色体異常」の発生率も高いのです。

番組では具体的に触れられておらず残念でしたが、「染色体異常」でメジャーな「ダウン症」の発生率は、「20歳で1667分の1、30歳で952分の1、35歳で378分の1、40歳で106分の1」になります。

先日も、「胎児異常」で中絶が増加しているという報道が流れていました。

これは、「何歳まで体外受精で妊娠できると思うか?」という質問に対し、「45歳まで」という答えが50%を超えていたこととも深くつながっていると思います。

妊娠できる年齢や、妊娠できたとしても、それに対するリスクが殆ど知られていないこと、知らなかったが故に、妊娠する機会さえも逃してしまった人がたくさんいる、ということが僕にとって衝撃的でした。

②「結婚をしたら(パートナーがいたら)子どもがいることが当たり前だと思っていること」

こういうことを書くと、当然「お前はこどもがいるからそういうことを書けるんだ!」と言われるでしょうし、実際にこういうことを言うと、よく言われます。

しかし、あえて書きたいと思います。

今、生きている人たちは誰であれ当然、生物学的な父と母がいます。

だからなのか、「女性が子どもを産むこと」や「結婚したら(パートナーがいたら)子どもを授かる」ことを当然と考えている人たちが多すぎるように思います。

不妊の原因が「男性にも半分近くある」ということが知られていないことも同じようなことだと思いますが、「結婚していても(パートナーがいても)子どもがいない」人たちはいるのです。

③全体の感想

この番組を見る限りで痛感するのは、やはり「妊娠」「不妊」が「女性の問題」だとされていることです。

「女性は子どもを産むもの」という前提もそうですし、「結婚したら子どもを授かるもの」、「不妊の原因は女性にある」というものも、すべて「女性の問題」にさせていると思います。

また、「妊娠に関して、殆ど知らない」ということで、多くのことが許容されてしまうことには少し危惧を覚えました。

①で書いたように、年齢を重ねる毎に胎児の「染色体異常」の確率は高くなります。

しかし、それを「知らなかった」ということで、せっかく自分たちが望んで授かった子どもを「異常」という理由で、中絶してしまうのです。

妊娠に関しての特に「卵」の特集だったので、仕方が無いのかも知れませんが、生まれてくる胎児にとっても、高齢出産は「リスクがある」ということも周知して欲しいと思いました。

今回はあまりどれも踏み込んだ内容はありませんでしたが、妊娠に対する知識や情報があたかも「教育されなかった」ということで、政府などの問題に取れるようになっていたのはとても残念です。

もちろん、社会の仕組みとして、女性が正社員になることを推進しながらも、結婚や子育てを難なく出来るような環境を整備してこなかったことは、大きな問題だと思います。

しかし、「30歳過ぎたら妊娠の可能性が低くなるなんて知らなかった」とか「40歳近くだと妊娠できても「胎児異常」が多いなんて知らなかった」というのは、あまりにも無責任に聞こえてしまいます。

「知らなかった」というよりは、むしろ「知らないようにしてきた」という方が正しいように思えます。

最後に、これは、②で述べたこととも関係しますが、妊娠に関する知識・情報だけでなく、「子どもがいない生き方」ももっと広く知られて欲しいと思います。

もし、子どもを望んでいて、でも、授かれなかったとすれば、子どもがいなくてパートナーと暮らしていくという生き方や、保護者のいない子どもを受け入れて生きていく、という生き方もあります。

いつもこういうことを書いていると結論は同じになりますが、もっと多様な生き方が受容されるようになれば、もっと多くの人が生きやすくなるのではないか、と思います。