映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

「いじめ」緊急フォーラム

昨夜は、会員になっている、ファザーリング・ジャパン主催で、「父親が発信しよう!『いじめ問題』緊急フォーラム」があったので、出席してきました(昨夜のNHKニュース9でも報道されたとのことです)。

USTREAMでも流していたので、動画でも見られます→USTREAM

また、フォーラムの告知は→こちら

*内容はUSTREAMでも見られるので、内容を詳細に紹介はせずに書きます。また基本的に、僕は物事を批判的に考えるので、批判的過ぎると思われる方は特にUSTREAMで内容を確認されるのをおすすめします。

 

フォーラムは第一部が鈴木寛参議院議員の話、第二部がパネルディスカッションでした。

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第一部に関しては、特に何も無いのですが(かなり失礼)、第二部ではいろいろと考えさせられました。

 

登壇者は

パネリスト

NPO法人代表理事NPO法人ファザーリング・ジャパン理事、元小学校PTA会長

②私立高校教師

③小学校教師

④公立小学校父親の会世話人

コーディネーター

⑤小崎恭弘(神戸常盤大学准教授、NPO法人ファザーリング・ジャパン副代表)

吉田大樹NPO法人ファザーリング・ジャパン代表理事

という6名でした(全員がパパです)。

 

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各パネリストから、「いじめ」に関しての実践(実績)や、考えていることなどの話がありました。

そのパネリストからの話を聞き始めた時は、僕にはマッチョな考えすぎて、とてもついて行けないな、と思っていたのですが、後半からはとても共感出来る話がありました。

 

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簡単に分けてしまいますが、「ついていけない」と思ったのは、パパとしての活動で話されていた方達で、共感出来たり、僕も指摘したいと思っていたことを話してくれたのは、小・高・大問わず教員をされているパパ達の意見でした。

 

なぜ、「ついて行けない」と思ったのかというと、

・性的役割分業を前提に話している(実際に動いたり、動こうとしている)

・子どもを自分で導こうとしている

この2点が気になったからです。

お二人とも子どもが現在小学校だったり、小学校の時の話と言うこともあるのかも知れませんが、この2点には僕には「我が家での子どもとの関係ではとても無理」と思ったのでした。

 

そして、共感出来たのは、(僕は非常勤でさらに経験も浅いので「教師」という存在の末席を汚しているだけですが)僕が教員だからかも知れません。

パパの中には首をかしげている人たちもいたようですが、小学校教諭の方は、年度初めに必ず

 

「いじめは、100%いじめる人が悪い」

 

という話を生徒達にするそうです。

そうしないと、自分自身の軸もぶれてしまうということです。

 

たぶん、首をかしげていたパパ達のように、この言葉を聞いて、首をかしげたり、「そうはいっても…」と思う方もいるかも知れません。

でも、僕はこの「いじめは、100%いじめる人が悪い」ということを前提にしないと教師としてやっていけないと実感しています。

なぜなら、「いじめられる側にも問題(理由)がある」としてしまえば、それはいじめを容認してしまうことになるからです。

 

「そんなことをいっても、大人の世界にもあるし…」とか、「大人の世界ではそんなきれい事は通用しない」という反論が帰ってくるかも知れません。

でも、そういった反論をする人に聞いてみたいのは、何故、「大人の世界」を基準にして考えるのか?ということです。

そして、「いじめ」はあっても良いものなのか?ない方が良いものなのか?を考えて欲しいということです。

もし、「大人の世界」を理由として、あっても良い(仕方が無い)とするならば、それは、「大人の世界」の方に問題があるのではないか?と思っています。

(うまく説明出来たかは分かりませんが、僕の考えは、内田樹さんの意見にとても近いです→内田樹の研究室「いじめについて」「いじめについての続き」)

 

パパ達には、「いじめられている子にもある、良いところをみつける」とか上から目線というか、憐れむかのような感じで話されていましたが、それは間接的に「いじめられる側にも問題(理由)がある」という考えのように聞こえました。

 

また、これは教員側からも少し指摘がありましたが、「いじめている生徒も被害者である」(いじめている生徒も親からのネグレクトや貧困などの何かしらの問題の被害者)であるという指摘(言葉自体は水谷修さんの言葉の引用です)や、「学校に行くことが全てではない」というのは、なかなかこの話が出なかったので、僕も言おうかと思ったくらいでした。

しかし、見た感じ、いわゆる「ホワイトカラー」のそれなりの地位にいるパパ達ばかりのような感じだったので、(かなりの偏見を含みますが)「学校という場にある程度順応できてきた人たち」であり、親のネグレクトや貧困などからも距離が遠く、実感というか殆ど知らないのかな、と思いました。

 

僕としては、今後、パパとして出来ることを考える上でこの2点、

①「いじめている生徒も何かしらの問題の被害者である(可能性が高い)ということ」(そこまでの問題にどのように父親として関われるのか)

②「学校に行くことが全てではないということ」(学校という道以外をどのように提示できるか)

を考えて行きたいな、と思いました、というか思って参加しましたが、残念ながら、こういう話は指摘のみで終わってしまって、消化不良を起こしてしまいました。

 

それにしても、今回よく分かったのは、「いじめ」を語る際に、さまざまな切り口があるということ、さらに、「いじめ」自体が悪いことなのかどうなのかという根本的なものを含め、考え方は一様ではないことです。

なかなかこのこと(特に僕が考えたいと思っていること)を話し合うのは難しいのかも、とも思ったのでした。。。

 

フォローではないですが、「自分の子どもが「いじめる側になった」「いじめられる側になった」ということを今から考えておくこと」はすごく良い指摘だと思いますし、実際に今回の一連のいじめに関する報道を見て、殆どの親は「自分の子どもがいじめられたら…」という想像はしたかもしれませんが、「自分のこどもがいじめの首謀者だった」と想像した人が少ないような感じがします。