映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

お父さんはどこ?

お久しぶりです。

すっかり自分でもブログを見ることなく過ごしていたら、2週間も経ってしまっていました。

その間にコメントなど下さっていた方は、返信が遅れてしまい、ごめんなさい。

さて、ここ数日、あるCMがファザーリング・ジャパンメーリングリストで話題になっています。

どのようなCMかというと、味の素のものです。

まずは、僕の意見を目にする前に、このCMを見て、何か思うか、それとも何も思わないか等々、感じたままに見てもらえればと思います。

味の素CM「日本のお母さん」篇

さて、このCM、みなさんは何か思うことはあったでしょうか?

ツレに何も言わずにこのCMを見せたら、ツレの反応は「お父さんは?」でした。

僕も最初に見た時同じように思いました。

「お父さんはどこ?」

あれ?母子家庭なのかな?と60秒バージョンを見てみたら、少しだけお父さんが映っていました。

お母さんが起きても寝ている姿と、子どもたちの着替えをしているところと、子どもたちが朝食を摂っている時にソファに座ってパソコンをさわっているところです。

ファザーリング・ジャパンのメーリングリストでは、やや「こんなCMけしからん!」的な感じが多いような気がするのですが、僕としては、「多くの家庭ではこんなものなのでは?」という感じです。

ストーリーの解説はホームページにはないので、あくまでも推測ですが、

・父親はフルタイム労働者

・母親は(弁当を作っていたり、季節にもよりますがまだ外が明るい時間にお迎えに行っているので)パートタイム労働者

・子どもたちは幼稚園児(保育園は基本的に給食なので)

といったところでしょう。

しかし、朝食の準備も洗濯も子どもたちの送り迎えも買い物も夕食もすべて母親がやっています。

父親は朝しか顔を出さず、夜はまるで母子家庭かのような光景です。

でも、僕は、男女の労働環境含め、こういう家庭が多いのではないか、と思います。

僕が気になったのは、まず、一緒に流れている歌です。

「何十万年もお母さんが続けてきたこと」

「何十億人のお母さんが続けてきたこと」

「食事を用意すること」に関してこのように歌われているわけですが、これにはかなりの疑問を抱きます。

歌と一緒に、まるで石器時代から母親と子供たちだけで食事をしているかのような映像が流れますが、本当にそうなのですか?と。

日本では女性が食事を作るということを少なくともこの100年くらいは(多くの場合)してきたのでしょうが、男性が食事を作って提供する文化圏は(今でも)沢山あります。

なので、石器時代から作っているかのような表現はどうなのかな、と。

それに、もっとシンプルに考えると、父子家庭の人たちはどうなるの?と。

当然、父親がやっているわけですから。

僕の周りでは、このCMを見て、怒ったり、「こういう家あるよね(私はやらないけど)」という感じで流している人が多いので良いのですが、僕が一番懸念するのは、女性が「母親になったらこういう生活になる(母親とはこういうもの)」と認識してしまって、「私にはとても無理」と結婚や妊娠&出産に二の足を踏んでしまったり、「こうしなければ母親ではない」と完璧主義に陥って、バーンアウトしてしまうことです。

CM上の母親のように出来る人ははっきり言って「スーパーウーマン(パーソン)」なのですが、これをあたかも「ふつうのこと」のように流しているのは、どうなのかな、と思います。

あとは、ただでさえ世の中の男性は「仕事」を理由に家事や育児をやらないのに、「家事をしなくてもいい」「夕食のときにいなくてもいい」と勘違いさせてしまうことです。

このCMを見ると、「わざと反応を煽ってるのか?」と勘繰ってしまいそうになるのですが、みなさんはどのようなことを感じる(または感じない)でしょうか?