映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

『お母さんはしつけをしないで』

早速インドの話は休んで、インド滞在中に読んだ育児本のことを書きたいと思います。

 

お母さんはしつけをしないで (草思社文庫)

 

著者は心理学者であり、カウンセラーでもある長谷川博一さん。

大阪教育大学附属池田小学校事件を起こした宅間守元死刑囚とも複数回接見しています。

 

そんな著者が書いたのがこの本で、内容はもうタイトル通り「しつけをしないで」ということが延々と繰り返されています。

 

「お母さん」と付いているのは、日本では、育児のファーストパーソンの殆どが母親だからで、他意はないようです。

 

現代のお母さんたちがいかに「しつけ」に縛られているかということ、そしていかにその「しつけ」によって子どもたちの人生に悪影響が出ているかということが述べられています。

 

 

僕がこの本を読んでいてすごく共感したのが「父性」について述べられているところです。

 

この言い方自体気になる方もいるかも知れませんが、以下のように「母性」と「父性」を分けています。

 

「母性的な姿勢」:「わかる」「認める」「受けとめる」「許す」「包みこむ」

「父性的な姿勢」:「わからない」「拒否する」「はねつける」「罰する」「断ち切る」

 

 

そして、今の「お母さん」(育児のファーストパーソン)たちは、多くの場合この「父性的な姿勢」で子どもに接するようになってきているのではないか、ということが指摘されていました。

 

「父性的な姿勢」というのは結局のところ「支配する―支配される(従属する)」という関係になります。

 

 

僕は以前からすごく気にかけているのが、この親と子どもとの関係が「支配する―支配される」関係になっているのではないか、ということでした。

 

子どもは自分の親しか知りませんし、端から見た大人からすれば、どんなに理不尽なことだろうが、子どもはそれを「普通のこと」として受け止めます。

 

親がどんなに子どもを「支配していない」と考え、行動したとしても、子どもは親を選べない時点で親は子どもを少なからず「支配している」のだと僕は思っています。

 

だから、元々彼ら子どもたちを僕は「支配してしまっている」ということを自覚しつつ行動しなければならないし、この本の中で繰り返し書かれているように、その関係(支配―従属)が親子で強固なものになればなるほど子どもの人生に悪影響を及ぼしてしまうことを自覚して行動しなければならないのだと思いました。

 

 

ちなみに、なぜこの本を読み始めたのかというと、やはり自分自身で「虐待」について考えざるを得なかったからです。

 

この本で書かれているのは「しつけ」と「虐待」の境界線は曖昧だということ。

 

僕が「しつけ」だと考えていても、もしかしたらそれは彼らにとっては「虐待」かも知れない、そういう態度を取っているかも知れない、そういう風に考えることがあったので読み始めたのでした。