映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

主夫になる理由

先日発売されたAERAにこんな記事が載っていました。

慶應大卒ビジネスマンが「専業主夫」になった理由

この方(宮内崇敏さん)は、有名な主夫ブログをやっている「ムーチョ」さんです。

(ムーチョさんのブログはこちら→「カタルエ」)

このムーチョさんを取り上げたAERAの記事がYahoo!に配信されたようで、このブログ含め、軒並み主夫ブログの閲覧数がかなり上がったようです。

(なんかやたらに閲覧数が増えてたので見てみたら、これが理由だったようです。)

*ここからちょっと批判的なことを書きますが、ムーチョさん本人への批判ではありません。

ムーチョさんの経歴(?)はなんとなく知っていたし、どういう経緯で「主夫」になったのかも知っていました。

なので、特に目新しさはなかったのですが、気になったのが、①「慶應卒」ということと、②「体調を崩して主夫になった」という経緯の紹介です。

「学歴にとらわれない」という言葉を本人から引き出しているのに、結局学歴じゃん、と。

最後に書かれている

「学歴は、幸せにも不幸にも「レバレッジ」をかけるツール。それを生かして人生を充実させられるかは、自分次第なのだ。」

という言葉は結局の所、「主夫には学歴は関係ないよね。でも他の仕事ならレバレッジかけられるよね。」と暗に言っているように思います。

次に「体調を崩して主夫になった」という経緯ですが、これも主夫を紹介する際によくあるパターンです。

こういう経緯を紹介するということは、「主夫は体調を崩すなど何らかのアクシデントが起きないとしない仕事」

と言っているように思えます。

主婦のように、「結婚したから」とか、「子どもが産まれたから」とか、そういう理由ではなくて、「何らかのアクシデントが起きたので主夫になった」と描かれます。

「主婦」はなんとなくなれるのに、「主夫」は明確な理由がないとなれない。

こういうのを見ると、まだまだ「主夫」はマイナーなだけでなく、良いイメージがない職業なんだな、と感じます。

「学歴」も「主夫になる理由」も、主夫を書く時の良くあるパターンなのですが、良くあるパターンであるからこそ、根は深いな、と思います。

ちなみに僕が主夫になった理由をあえて言えば、「ツレに家事能力が殆どなかった」からです。

僕が教育しつつ、いっしょにやれるようにすれば良かったのでしょうが、最初の「教育」を行わなかったので、結果的に僕が「主夫」の肩書きが加わりました…。