山と本と映画と自分

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『聲の形』

育児本ではないのですが、いくつかのところで書評を目にして、気になって読んだ漫画があります。

 

聲の形

 

書評として例えば、朝日新聞にも載っていました。

(コミック)『聲の形』(1) 大今良時〈作〉

 

あらすじは、この書評やWikipediaなどを読むとより分かるのですが、主人公の小学校のクラスに聴覚しょうがいを持っている女の子が転校してきて、彼女をいじめるようになり、その後、主人公もいじめの対象になり、彼女は転校し、主人公だけいじめられる。

中学、高校ともそれを引きずりながら送っていたが、小学校でいじめていた女の子に会いに行く。

 

これが1巻目の流れでした。

 

僕がこの漫画を読んでみようと思ったのは、①小学生の子どもを持つ親であること、②学校で教員として関わっていること、③「しょうがい」に対してどのように伝えたらいいのかはっきり言って分からない、この理由からです。

 

①、②に関しては、漫画を読んでもあんまり深まることもなく、ヒントになるようなことも描かれていませんでした。

特に②に関しては、僕が学校が本当にイヤだと思っていてような教師しか出てこず(まぁ、当たり前か)、何の解決にもならないどころか、「いじめ」がクラスにあることもよく分かっていない無能な小学校教師でした。

 

③に関してが一番悩ましいのですが、単純に「タブー化」するよりは、「いじる」のは良いのかも知れませんが、しかし、反対に「いじられた」本人としてはどう捉えるのかは分かりません。

 

まぁ、実際に目の前にいない「しょうがいしゃ」のことに対して、子どもがどういう態度に出るのが分からないなかでほとんどすべて妄想(推測)しながら、「こうしたい、ああしたい」と言っていること自体が、意味のないことなのかも知れません。

 

この漫画の展開で疑問に思ったのは、主人公が簡単に「いじめられる側」になることです。

「いじめる側」が「いじめられる側」になることは起こりえることですが、この主人公のキャラクターからして、いじめてきたクラスメイトに対して真っ向勝負すればそれ以上エスカレートすることはなかったと思うのです。

その点は、小学校、あるいは中学校では「力」、明確に「物理的な力」があるかどうかで関係が大きく変わるので、この漫画の流れはちょっと「ないなー」と思ってしまいました。