映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

親になるのに責任も資格も必要無い

本当は、「『無責任だ!』と言ってバッシングする方が無責任だ!」というタイトルの記事を書こうと思っていたのですが、ほぼそのまんま先にイケダハヤトさんが記事にしていました。

僕が今、本当に書きたいことは、イケダハヤトさんのこの記事に書いてあることなので、そちらを是非読んでもらえたらと思います。

[家入案件]「無責任な親を甘やかすな!」と言うあなたが「無責任」なんですよ

少しでもイケダハヤトさんの記事を読む人が増えればと思い、ちょっと書きます。

イケダさんの記事を読んでもらえれば分かることですが、一応どういう話の流れかというと、

家入一真さんTwitterに出産を控えている女性から借金返済のためにお金を貸してほしいというメンションが届く。

②家入さんが「面白い!」と乗って、女性も振込先を提示。

③振込をして応援する人と同時に「親として無責任だ!」「詐欺なのでは?」その他ありとあらゆる罵詈雑言が女性に浴びせられるように。

これを見て、イケダハヤトさんが上に載せた記事([家入案件]「無責任な親を甘やかすな!」と言うあなたが「無責任」なんですよ)を書いています。

僕もこのやりとりを見て全く同じことを考えていました。

ちなみに僕は少額ですが、この女性に振り込みました。

「詐欺なのでは?」という声もたしかにありますが、「借金に気をもんでこの先に不安を抱いている妊婦がいなかったなら、それは良かった」と思っています。

それよりも気になるのが、「親として無責任だ!」だとか「子どもがかわいそうだ」だとか「子どもを育てる資格がない」と平気で言っている人たちです。

子どもを産む時に必要な責任ってなんでしょう?

子どもを産む時に必要な資格ってなんでしょう?

僕には子どもを産む時には責任も、資格も必要なんかないと思います。

もし、必要な責任があるとしたら、授かった子どもを母子ともに健康な状態で産むことです。

今回の家入さんにお金を貸して欲しいと言った女性は、お金のことを心配していたので、出産前にその心配を取り除こうとしたので、むしろ、必要な責任を果たしています。

これからは僕が実際に体験したことですが、僕も大学を卒業したばかり、しかも大学院生の時に結婚し、長男を授かり、次男が産まれたのも僕が学生の時、長女が産まれたのも僕が半学生の時でした。

なので、「無責任」ということは直接言われませんでしたが、「大丈夫なの?」ということは無数に、そして「奥さんは何考えてるの?」ということはたまに言われました。

これらの言葉は、簡単に言えば、「親としての責任が果たせるとは思えない状態で子どもを産む(しかも複数も)なんて正気の沙汰ではない」ということでした。

僕はそんなことを言われたとしても、子どもを実際に育てるのは僕とツレなので、「なんでお前にそんなことを言われなきゃいけないの?それともあんたが引き取って育てるとでも?」と(心の中で)思っていたので、無視していました。

それに、実際、こうしてそろそろ子育ては丸7年が経過しますが、人並みに子育てでうまくいかないこともありますが、特異な子どもには育っていないので、多分「間違い」は犯していなかったはずです。

でも、よく目にするのが親の状態を見て「無責任だ!」「親になる資格がない!」という無数の声。

親になるための責任ってなんでしょう?

親になるための資格ってなんでしょう?

親には「なる」のであって、最初から「親」なのではありません。

何かの条件を満たしたから「親」になれるのではなく、(条件があるとすれば授かれる身体があることでしょうか)少しずつ親に「なる」のです。

今回の件は、経済的な心配で批判されていますが、では経済的な心配がなければ「親の資格」があるかといえば、愛情が全くなくて、仕事ばかりで家に殆どいなければ、そんな人は親とは言えませんし、「責任」も果たしていないでしょう。

そして何より、口だけでバッシングして「自分は正しい」「自分の理想(妄想)に合った家族、子ども、親だけはこの世に存在して良いけれど、そうじゃない家族、子ども、親はダメ」という態度はあまりにも傲慢です。

他人である僕らがもし出来ることがあるとすれば、バッシングして「自分の正しさ」を主張することではなく、既に授かった命をどのように健康に、安心して育てていくことが出来るのかを考えて、自分なりのサポートをしていくことでしょう

それは、そっと「元気な子どもが産まれてくると良いですね」と声をかけることかもしれませんし、ボランティアとして子どもたちに関わることかもしれませんし、お金を振り込むことかもしれません。

でも、決してそれは「子どもがかわいそう」「無責任!」「資格がない!」という言葉だけを投げつけることではありません。