映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

『不妊治療、やめました』

昨日までやっていたAmazonKindle本セールで値段とタイトルに惹かれて衝動的に読んだ本です(今はセールは終了していますが、280円でした)。

子どもを3人も授かり育てているので、人間関係も話題も【子育て】中心の僕ですが、その前(?)の不妊治療、そして不妊治療をやめてパートナーと2人で過ごしていく10年以上の日々が一冊になっています。

不妊治療、やめました。~ふたり暮らしを決めた日~

僕らは幸運なことに、僕らが結婚をする前から望んでいたように3人の子どもたちを授かることが出来ました。

なので、不妊治療のつらさや現実は全く分かりません。

でも、この辛さは不妊治療とは関係なく同じだな、というものがいくつかありました。

それは、

・横柄な態度を取る医療従事者と設備

・何かを達成していないと一人前とみなされないこと

この2つです。

この本の後半に、一旦やめた不妊治療を年齢的な理由から再度チャレンジする時にかの有名なKO病院での治療の様子が書かれています。

そこには、横柄な態度を取る(女性)医師と、プライバシーの全くない設備が描かれています。

作品中には「当時のことです」というような但し書きがありますが、「こういう医者いるし、こういう病院あるわ」と医療施設に何度かお世話になったことがある人なら感じるはずです。

薬が効かなかったり、手術をした時に医師が思ったような効果が出なかった時に、安易に患者のせいにしてしまう。

そして、医師は羊飼いであり、患者は従順な羊であることを求める。

この辛さは医師が治療という場面において絶対的(と思わされる)な関係にいるので、不妊治療でなくても感じることがあります。

まぁ、そういうことを感じたら直接文句言うか、「相性が悪かった」と思って違う医師に変えれば良いんですが、設備や通いやすさなどの条件でそう簡単にいかない場合も多いです。

そして、もう一つが「【子育て】をしていないと一人前だと見なされないこと」です。

今回は不妊治療のことなので【子育て】ですが、【 】の部分は他の言葉に代えられます。

一番多いのは【仕事(正規フルタイム)】でしょうか。他には【結婚】とか。

僕も会員になっているファザーリング・ジャパンではこれほど露骨なことを言う人は目にしたことはありませんが、良く目にするのは「子どもを持ったことで成熟出来た」というような表現です。

こういう言葉はもちろん本人にとってはそれが実感であって、それ自体を非難したり、批判したりすることは出来ません。

でも、こういうことばかりを言ってしまうと、じゃあ、「子どもがいなかったら」「子どもはいない」人は成熟出来ないのか?子どもがいる人といない人は違った成熟なの?と感じてしまいます。

僕は【子育て】ということだけ見れば、3人育てているので、【一人前】のように扱われることもありますが、年齢もまだ20代で、仕事も大学を卒業してからずーっと学生をし続け、今は【主夫】と言ったところで、給料も出ないので基本的に一人前に扱われることはありません。

「何かをしていなければ一人前ではない」(何かをしているから一人前である)という言葉の先に、何を見ているのかを見極めないといけないなと痛感します。