映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』

先週やっていた、NHK「あさイチ」の<どう向きあう?わが子の不登校>という特集を見ながら新聞を読んでいると、吃音症を苦に自死した男性の話が載っていました。

 

伝えられぬ苦しみ「吃音」 就職4カ月、命絶った34歳

 

そして、この記事の中に出てくる漫画が気になり、kindleでも出ていたので早速読んでみたのですが、、、泣きました。

 

志乃ちゃんは自分の名前が言えない

 

不登校と吃音症が何故僕の中で結びついたのか。

それは、本人にとって「理解されない苦しみ」があるという点で共通していると思ったからです。

 

しかも、理解されないだけでなく、不登校の場合は「本当は学校に行きたい」だとか、行かないことでの「罪悪感」を持っていることと、吃音症の場合は「本当はうまく喋りたいけれど言葉が出てこない」、言えないことで更に緊張し、吃音が増してしまう、という「本当はしたいけれどうまくいかない」「うまくいかないことで自分を追い込んでしまう」というその部分が共通していると思ったのです。

 

あさイチの特集を見ていても、「不登校は親の責任」、「そんなんじゃ社会でやっていけない」、「親が甘やかしている」という意見が出ていました。

出演者の多くが、学校が好きでなかった(尾木直樹さんは高校を1年留年してもいらっしゃいますし)ということもあって、それらの意見をうまくかわすというか、反対していましたが、不登校も吃音症も一番苦しいのは本人なので、親がどう責められようが、少しでも本人が楽になれるように盾になれたら良いな、と思いました。

 

まだ、今、僕が盾にならなくてはいけないような状況は訪れてはいませんが、周りから何といわれようが、生きていくのは本人たちなので、ちょっと躓いてしまった時に、泥をかけてくるような人には盾となって、本人たちが立ち上がるまで泥を被り続けられるようにしたいな、と思ったのでした。