映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

アスペルガーとADHD

先日、教育関係者と3人で話していたときのことです。

ふと、ある1人の子ども(○○さん)についての話になり、僕はその子のことを知らなかったので、「どういう子ですか?」と聞きました。

他の2人はその子のことを知っていて説明してくれたのですが、「うーん、なんというか、○○はアスペルガーっぽいんですよね。」と言っていました。

もう1人の方も特にそれについて「うん」という感じだったので(発言はありませんでしたが)、僕は「この間までよく合っていた△△さんみたいな感じかなぁ」と想像しました(ちなみにその△△さんは今春、志望していた大学に合格し、晴れて大学生になっております)。

で、昨日、ちょうど先日話に出た○○さんに会いました。

すぐに会って分かったのは、「彼は絶対にアスペルガーなんかじゃない。発達障がいだとすればADHDだろう。」ということでした。

もちろん、僕は医師ではありません。

しかも、○○さん自身が診断してもらうことを目的としていないので、診断をすることはおろか、診断名を勝手に付けてしまうことは本来してはいけないことです。

でも、正直、子ども達に関わるときに、闇雲に関わるのではなく、(【発達】だけではなく)様々な障がいの特性を知っていることは、その相手への適切なサポートにもつながるし、関わる側としても誤解等による混乱等がなくなることがあります。

なので、誰か(特に様々なサポートが必要な時期である子ども)と関わるときの1つの情報として「発達障がいがある(もしくはその可能性)」を知ることは、適切なサポートにつながると僕は考えています。

しかし、今回の場合、前から気になっていたことではあるのですが、この教育関係者は「発達障がい」について特に知らないにも関わらず、誰かを説明するときに真っ先に「彼(彼女)は□□(障がい名)だから」みたいに言うことがあるのです。

これはすごく問題だな、と感じます。

誰かと関わる時の第1次情報が「障がい名」であり、その「障がい名」もその人が勝手に「知っている言葉を使っただけ」ということです。

間接的には、その人(無言で同意していたもう一人の方も)は「自分には手に負えない(自分のキャパシティを越えている)」ということを言いたかったのかも知れません。

しかし、良く知りもしない言葉(しかもそれは様々な偏見を生み出すかも知れない「障がい名」)を使って説明することではないはずです。

自戒を込めて、誰かのことを「彼(彼女)は~だから」みたいな言い方を注意しなければならないこと、そして再度接する機会がどうしても多い「発達障がい」について僕自身も勉強し治さないといけないな、と思いました。

最後になりましたが、ADHDアスペルガー症候群(こっちはあまり良いものがなかったのですが…)について分かりやすく説明されていて、なおかつサポートの情報も載っているので下記のHPのリンクを貼っておきます。

ADHD(注意欠如・多動性障害)

 上記HPで特に子どもの特徴に関しては→小児・思春期の主な症状・特徴

アスペルガー症候群の原因・症状