映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

運動会で長男が教師に囲まれて泣きじゃくっていた。親である僕は何をするべきか。

怒りにまかせつつ書きます。そして、(多分)長文になります。ご了承ください。

①長男がひどく号泣していた

先日の土曜日、長男T(小2)の通う小学校の運動会がありました。

日差しは強いものの、日陰に入れば涼しく、義母と僕の母も見に来てくれ、観覧席の隣にはボーイスカウトで一緒のK家族がいたり、次男S(5歳)と長女M(2歳10ヶ月)が通う保育園で一緒の家族がいたりと、運動会の催しを見つつ、楽しく観覧していました。

Tは踊り(1、2年生が踊りでした)や玉入れをし、僕自身も親子競技の玉入れをTと一緒にやりました。

さて、午前中のプログラムが終わった所で「ふれあい給食」の時間になりました。

「ふれあい給食」という名前ですが、ようはお弁当を食べる訳です。

SとMは既にお腹を空かせていたので先に食べており、義母は「Tに会ったら帰る」ということで、Tが僕たちがいる観覧席に来るのを待ちました。

どのくらい待ったかは分かりませんが、一通り周りの家族のところには子ども達がそれぞれ来ていました。

しかし、Tは来ませんでした。

最初は「トイレにでも行ってるのかな?」と思っていたのですが、なかなか来ないので、探し始めました。

Tたち2年生が座る席を観覧席から見ても、Tの姿は見えませんでした。

ですが、トイレだとしてもさすがに遅く、義母も探し始めたので、僕も2年生が座る席に向かいました。

すると、すぐにTを見つけました。

僕らの観覧席からは木に隠れて見えない位置だったので見えなかったようです。

Tは胸を強くひっくひっくしながら、ひどく泣いていました。

そして、Tの目の前には担任のY先生(男性)ともう一つのクラスの担任のS先生(女性)が座っていました。

僕が「ここにいたのか。しかも泣いてる。」と言って見つけると、Y先生が僕に気づき「すみません。3分ほどお待ちください。」と言ってきました。

そう言われたので、僕はとりあえずTを見つけた安堵感から「あ、はい」と言って、ちょっと待ちました。

そして、3分も待たない内にTは立ち上がり僕の方に来ました(勿論まだひどく泣いていました)。

Y先生はその時、「また後で話を聞かせてもらいます」と言っていました。

ひどく泣いていたものの、ようやくTを見つけたので、Tと僕は一緒に観覧席へ向かいました。

その途中、Tに「何があったの?話したくなければ話さなくても良いけど。」と言うと、Tは「話したくない」と言いました。

観覧席に着くと、義母も母もツレもTがひどく泣いていることに動揺しましたが、「話したくない」と言っていたことを伝え、とりあえずお弁当を食べることにしました。

Tはひどく泣いていたのでなかなか食べようとはしませんでしたが、ツレの上に座り慰めてもらっていると少し落ち着いてきたので、「とりあえず果物でも」と言って果物をなんとか食べさせ、すると泣くのもやんできたので、ゆっくりではありますが、お弁当(Tの希望だったサンドイッチでした)を食べてくれました。

食べ終わる頃には泣きやんでいました。

お弁当を食べ終わると、もう一度Tに「話せる?」と聞いてみました。

Tはここでも「話したくない。」と言いました。

なので、もう、僕らはとりあえずその話をしないことにしました。

何があったのかは丸で分かりませんでしたが、その後、短い時間だったものの、Tは友だちと遊び、笑顔も見えたので、安心しました。

②何故Tはひどく泣いていたのか。

お弁当を食べ終わった後、僕ら大人はみんななんであんなに泣いていたのかの話になりました。

僕の母もツレも「Tが何かしたから怒られていたのでは」という意見でした。

しかし、僕自身はTがまだ何も語っていない以上「そんなことは分からない。」と、Tに原因があるという「決めつけ」自体に反対しました。

Tが泣いていた理由を話してくれたのは、運動会が終わり、ツレと家に帰って来てから(僕はお昼寝するSとMと家にいました)、みんなで遅いおやつを食べているときでした。

結論から言うと、「Tが何かをしたから怒られていた」ということでした。

具体的には、「(「ふれあい給食」直前、つまり午前の部最後である)5、6年生の演技(鼓笛隊)中、砂で遊んで見ていなかったので、S先生に怒られた。」と言うことでした。

「その砂を他の子に投げたり、背中に入れたりしたの?」と聞くと、「そんなことはしていない。1人で遊んでいただけ」ということでした。

ツレはその後、用事があったので出かけてしまいましたが、お風呂に4人で入っている時に「これでこの話は最後にするから」という前置きで、Tに「あんなにひどく泣いていたのは他の子もやっていたのに自分だけが怒られたから?」と聞くと「うん」と答えてくれました。

これがTが「ふれあい給食」の時にひどく泣いていて、Y先生、S先生に問い詰められているように見えた出来事の顛末でした。

つまり、「他の学年の演技中に、他の子も一緒に地面の砂で遊んでいたのを自分だけ見つかり、自分だけ怒られたので泣いてしまった」ということです。

③僕は運動会当日、その後どう対応したか

Tがひどく泣いていた理由は、②に書いたように、帰宅後(入浴時)に分かりましたが、運動会中は分かりませんでした。

ツレと母は「Tが何かしていたから怒られた」という意見でしたが、僕はあくまでも本人が何も言わない以上「Tが何かしたのかしていないのか勝手に判断すべきではない」という立場でした。

僕がTを見つけたときにY先生が「あとでまた詳しく聞かせてもらいます」と言っていたので、 同じようにまた泣かされては困る、と思いました。

小学生(特に10代にもなっていない子供)にとって、「教師」や「大人」はそれだけで「恐い」存在です。

Tが何かしたのにせよ、しなかったにせよ、また「教師2人が取り囲み尋問する」というような状況を回避しなければならない、と考えました。

僕から見れば、Y、Sという教師はもちろんのこと、ツレと母も「Tが何か怒られるようなことをした」と見ている以上、警察や検察の立場であり、Tの弁護人は誰もいない、という構図でした。

なので、僕は「Tの弁護人」という立場になろう、と考えました。

具体的に考えていたのは、運動会終了後すぐにTの下に駆け寄り、Tを僕の「保護下」に置くことでした。

そして、その上で教師と話そうと思いました。

もし、Tが「話したくない」と言えば、僕の「責任」として「後日改めて場を作る」という提案をし、それでも教師が食い下がって来た場合は「Tが望む教師と一対一で話をさせる」というようにしようとしました。

最低ラインは「Tが望む教師と一対一で話をさせる」ということでした。

それはなんとしても「ふれあい給食」時の「2人の教師がTを取り囲み尋問する」という状況を繰り返さないためでした。

その状況はTにとって心理的にかなりの「圧迫」を与えることが目に見えていたからです。

また、2年生の担任教員は2人ともこの4月からの転任なので、関係が出来ていない「大人」と一対一であれ話をさせることもTにとってかなりの「圧迫」を与えると考えたからです。

では、実際どうなったのかと言えば、Y先生が「ふれあい給食」時に言っていた「詳しく話を聞かせてもらう」ということにはなりませんでした。

しかし、運動会で疲れていて、親も子ども達の帰りをすぐそこで待っていて、他の学年の児童が次々と帰る中、2年生全員がお説教を長々と食らったようです。

「他の学年の競技・種目中でも集中して見ていろ」と。

④何が問題か

今までの①から③までが僕を通して見た今回の「出来事そのもの」になります。

では、この一連のTが「ふれあい給食」時に「ひどく泣いていた」と言う出来事に対して、僕が何が問題だと感じているのかを書きたいと思います。

1.「児童は、人として尊ばれる。」

皆さんは「児童憲章」というものをご存知でしょうか?

児童憲章とは1951年5月5日(こどもの日)に「日本国憲法の精神に基づき、児童に対する正しい観念を確立し、すべての児童の幸福を図るために定められた児童の権利宣言」です。

広く知られている国連の「子どもの権利条約」は1976年発効ですが、それよりもはるか以前に「日本独自」で定められた「子どもの権利」宣言になります。

この児童憲章は3つの基本綱領と12の条文で成り立っていて、3つの基本綱領は以下の通りです。

児童は、人として尊ばれる。

児童は、社会の一員として重んぜられる。

児童は、よい環境の中で育てられる。

保育士、幼稚園、教員免許を持っていれば誰しもが知っているだろうと思っていたのですが、ツレも「知らない」とのことなので一応載せてみました。

僕は今回のTに対する教師とツレと母の対応、考えは、この児童憲章の基本綱領(「人として尊ばれる。」「児童は、社会の一員として重んぜられる。」)に反していると感じました。

ツレと母の「Tが何かをしたから怒られた」と決めつけてしまうこともそうですし、担任らの「大人である教師2人が取り囲み尋問する」ということもそうです。

これらの対応、考えの姿勢には「人として尊」ぶ姿も、「社会の一員として重んぜられ」ているようにも思えません。

Tが話したい時に話せるような環境を整えた上で、なんの圧迫もない状況で、Tの話を聞かなければなりません。

「教師」「大人」という圧倒的な関係の上で、「説教」または「尋問」、そして、「推測」し「断罪」するなんてことはあってはならないはずです。

2.理想を語るのは良い。だけど、理想を押しつけてはならない。

今回、Tがひどく泣くほど怒られたのは「他の学年が演技している時に砂をいじって遊んでいたから」でした。

つまり、「他の学年の競技・種目中でも集中して見ていろ」と教師は考えているわけです。

僕も子ども達に「人が話しているときにはちゃんと聞きなさい」と言うことはしょっちゅうあります。

しかし、僕がそれらの「自分の理想」を相手(子ども)に「強制」するのは、「自分もやっている」ことに限るようにしています。

相手に何らかの行動を「強制」出来るのは最低条件として「自分もそれをやっている」ことが必要だと思うのです。

砂をいじるかどうかは別として観覧席にいた「大人」の中で「他の学年の競技・種目を全て集中して見ていた人」が果たしているでしょうか?

「教師の中には全て集中して見ていた人もいるはずだ」という反論も来るかもしれません。

しかし、教師と子ども達との決定的な違いは、教師にとっては運動会は「仕事」である、ということです。

「仕事」であれば、その間集中して過ごすのは当然に求められることです。

それでも全部集中して「仕事」を行っている「大人」がいるかどうかは僕にはかなり疑問です。

長々と書きましたが、今回の件に関しては、僕とツレはもちろんのこと、僕の母もTの顔を見てすぐに帰った義母までもが教師の対応に疑問(というか怒り)を持っています。

疑問点はそれぞれ異なっているものもありますが、とにかく何らかの「アクション」を取るつもりです。

今回の件で僕が初めて強く認識したことは、(少なくとも子ども達が成人するまでは)子ども達がどんな状況に置かれたとしても自分は「弁護人」であるべきだ、ということです。

大人と子どもでは与えられている「権利」が違う以上、「力」も違います。

それを認識してない「大人」(教師だとしても)が多くいることを知りました。

その中で子どもを「弁護」出来る、しなければならないのは、「親(保護者)」である自分だということです。

今後どのような展開になるかは分かりませんが、僕としては「親(保護者)」として新たな役割を自覚し、学ぶ機会となりました。