学校で働いている僕が学校が嫌いな理由
「学校」に関する話が続いてしまっていますが、良い機会でもあるので、一度書いておこうと思っていたことを書いてみたいと思います。
それは「学校が嫌いである」ということについてです。
僕自身は今、非常勤としてではあれ、教師として「学校」で働いています。
しかし、根っこの部分ではまだまだ「学校が嫌い」という気持ちがあります。
その「学校が嫌い」という気持ちは、小学校の高学年から出始め、中学校はまさに「苦痛」でした。
でも、親も教師も周りのクラスメイトもたぶん僕がそんな気持ちを持っていたとは全く思っていないと思います。
僕自身も長男T(小2)が小学生になったこと、そして、30歳という年齢になったことからか、ようやくその「学校が嫌い」という根っこの部分に向き合わないといけない、また向き合えるようになってきたように思います。
学校が嫌いな理由①いわゆる「スクールカースト」
些細な「学校が嫌い」な理由はいくらでも思いつきますが、ひとつ目はいわゆる「スクールカースト」と呼ばれるものです。
たとえば、学年で「どのグループに属しているか」によって、人間関係が大きく変わってしまうようなところとか、個性的な人間を卑下するようなこととか(場合によってはいじめになることも)。
そして、僕自身もその中でどうにか生きていかなければならず、クラスの誰かを傷つけたこともあります。
それは今でも鮮明に覚えていますし、僕自身が「被害者」であったというつもりもありません。
先日紹介した『ニトロちゃん』のあとがきに、高校生のニトロちゃんと現在のニトロちゃん(=著者の沖田×華さん)が話しをする場面があります。
そこで高校生のニトロちゃんは現在のニトロちゃんに「今地元の友達に何枚年賀状送ってる?」と質問し、「1人」という答えにショックを受ける場面があります。
僕なんかは1人もいません。
実家も比較的近いので子供たちをつれてよく行きますが、正直元クラスメイトには会いたくありません。
僕にとっては、学校での嫌な思い出が喚起されますし、Facebookなどでちょっと触れる限り「グループ」みたいなものは未だに残っている感じだからです。
中学校での「人間関係」やその時の相手への評価が、卒業して15年経った今も確実に残っているのが見えるからです。
学校が嫌いな理由②「教師は絶対的に正しい」
僕が通っていた中学校は、どこの私立の進学校だ?というような、有名な高校にバンバン合格者を出すような、近くにある公立の学校でした。
他の学校のことは知らないので、それが関係していたのかわかりませんが、教師が生徒たちの「一挙手一投足を管理している」ように僕には感じられました。
よく覚えているのは、1年生の時、西日がきつくて暑かったので、僕が窓際でカーテンの近くに座っていたので、すっと立ってカーテンを閉めたときのことです。
社会科の授業中だったのですが、その教師(男性)は僕が「教師の許可を得ずにカーテンを閉めたという【勝手な】行動に出た」ことに怒りを覚えたようでした。
僕としては授業の邪魔になるような音を出したわけでもないので、最初「おい、○○」と言って「何か言うことはないのか!?」と聞かれた意味も理由もわかりませんでした。
授業が中断され、立たされたままその質問に対する「答え」を必死で考えましたが、何を怒られているのかわかりませんでした。
今になると、(カーテンを閉めるということであっても)授業というその時間・空間を支配している「教師の許可を得ない行動をしたこと」が問題だったのだな、と思いますが、そのときはわかりませんでした。
こういう「教師は絶対的に正しく、生徒はその管理下で従わなければならない」というような出来事がいくつもありました。
中学生も3年生くらいになると、少しは教師に対しても「そういう考えはおかしくないですか?」と(その場ではすぐに考えられないので手紙で)反論できるようになりましたが、それでも教師たちは「教師は絶対的に正しい」と考えているように感じられました。
そして、その「正しさ」は多くの場合、「成績」(評価)という「力」を使って生徒たちに振りかざされました。
その絶対的な「成績」という「力」を持っているので、(特に公立の高校に進みたいと考えている)生徒は「ちょっとおかしいな」と思っても「反論」さえできなかったのです。
もし、「反論」すれば「成績」は落とされ、学力があったとしても受験の際に重要な資料になる「内申書」に何を書かれるかわからなかったからです。
僕が少しでも「反論」できたのは、そもそも公立高校に行くという選択肢がなかったからです。
私立高校は単純に筆記試験を受ければ良いので、特に「内申書」を気にする必要がほとんどありませんでした。
嫌いだった「学校」「教師」への思いが変わったきっかけ
学校が嫌いだった僕が「まぁ、学校も悪くないかな」と思うようになったきっかけは、僕が進学した高校の【雰囲気】によるものです。
特定の「教師」との出会い、とかそんなドラマティックなものではなく、まさに【雰囲気】でした。
聞くところによると今はまるで違う学校かのようになっているようですが、僕が通っていた当時、その高校は「法律に触れることでなければなんでもあり」というような感じでした。
喫煙や飲酒、窃盗はもちろんダメ(停学や退学)でしたが、私服OKなので、夏場に暑いからハーフパンツとTシャツで通学しても、髪の毛をどんな色に染めても(僕の前に座っていたやつはあるときピンク色にしていました)、ピアスをしていても、最低限やるべきこをしていれば教師に「問題」だとされませんでした。
もちろん中には、何かの理由(たとえば、「オタク」であるとか「ゲイ」であるとか)で他者を卑下する人間もいましたが、ほとんどの生徒は「オタク」だろうが「ゲイ」(男子校だったのですが、当時他の学年でTVでカムアウトした人がいました)だろうが特に気にしていませんでした。
だから、僕が中学までの大きな問題だった、「どのグループに属しているように振る舞わないといけないか」ということを考えたり振る舞ったりする必要は全くなく、自分自身の「ありのまま」生活していました。
僕が学校にいる間にずーーーーーっと本(小説)を読んでいようが、寝ていようが(担任には「寝過ぎだ」と注意されましたが)、特に問題になりませんでした。
大学進学に必要な成績を取っていれば、クラスメイトはもちろんのこと、教師も両親も何も「強制」してくることはなかったのです。
通っていた中学のような「学校」だったなら、絶望していたかもしれませんが、それまでと正反対かのような学校に入学したことで、(それまでの出来事がチャラになるわけではないものの)「学校も悪くないのかもしれない」と思えました。
個人の資質としての「学校嫌い」
微妙な問題を含んでいて、詳しく書き始めるとそれだけで論文のようになってしまいそうなので、今まで書いてきませんでしたが、「学校が嫌い」という気持ちには僕個人の資質の問題があったと今では考えています。
具体的には僕自身が「アスペルガー症候群(自閉症スペクトラム)」の傾向がある、ということです。
僕も周り(特に家族)の人も必要性を感じていないので、病院で診断された訳ではありませんが、【黒】とは判断されないけれど【白】とも言えない、そんな状態だと理解しています。
これは、先ほど触れた『ニトロちゃん』やアスペルガー症候群のある主人公による育児奮闘記『プロチチ』を読んでもそう思います。
また、今では特にNHKのEテレ(ハートネットTV)がたくさんの良い番組を作っているので、僕自身が教員として働いているということもあり、それらを観ていると、該当するものがあるな、と思います。
「発達しょうがい」については、触れること自体が微妙な問題になってしまいますが、僕が言いたいのは、必ずしも「支援」が必要なほどのケースではなくても、グレーである人もいて、そういうグレーの人にとっても、学校は「居づらい」場所である、ということです。
むしろ、グレーであるからこそ、「支援」の対象にならず、「学校」「教師」と衝突してしまうことがある、ということです。
それが良いことなのか悪いことなのかは僕には判断できませんが、僕自身が小学校、中学校、高校にいたときにはまだ「発達しょうがい」が今のように周知されておらず、「支援」の対象にさえなっていませんでしたし、「支援」の対象になった今だからこそ、グレーな人たちは【白】と判断されてしまい、居づらさを抱えてしまうことがあるのではないか、ということです。
「発達しょうがい」に限らず、どんなことを取ってみても、人間はその人数だけ、いろいろな「個性」があります。
黒から濃いグレー、薄いグレー、白と。
LGBTの方たちが使っているように、人間はその多様さ、様々な人がいることから「虹(レインボー)」で表されるように思います。
僕が「学校」という場で働いていて、常に気をつけていることはその、人間は「虹」である、ということです。
誰かにとって「正解」であったものが、他の人にとっては「不正解」ということがある、ということです。
僕が「学校が嫌い」だったのは、「一つの正解」だけしか教えられず、それを強制されたからです。
そういう経験をしてきた自分がもし、できることがあるとすれば、一つの「正解」を強制することではなく、人間は虹であるからこそ「様々な正解がある」ということを伝えることかな、と思っています。
そして、それが「学校が嫌い」な自分と正面から向き合う一つの形かな、とも思います。