映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

小学生2名の自死について

昨日、とても悲しい出来事がありました。

皆さんすでにご存じかともしれませんが、管見の限りだと以下のように報道されていました。

 

女児2人がマンションから転落 自殺の可能性もテレビ朝日9月5日17:31)

マンション敷地内で倒れている女児2人を発見 飛び降り自殺か 警視庁(産経ニュース9月5日18:28)

「中学受験控え、眠れない」 マンションから飛び降り自殺か 女児2人 1人死亡(産経ニュース9月5日20:11)

マンションから女児2人転落、死亡 自殺図る?朝日新聞9月5日23時49分)

女児飛び降り自殺? 2人死亡 周囲に「勉強が大変」と訴え(産経ニュース9月6日00:08)

マンションから小6女児2人飛び降り?死亡(YOMIURI ONLINE9月6日00:30)

小6女児2人飛び降りか=いずれも死亡、同級生-マンション敷地・東京時事ドットコム9月6日00:52)

 

相変わらず「自死の方法」がタイトルに出てくることに、報道機関(マスメディア)の「自死」に対する無知さ、いい加減さにはうんざりしますが、ここではそれは本題ではないので、おいておきたいと思います。

 

この出来事に関しては、産経と朝日が詳細に報じていることが分かります。

そこで、時間を追うごとに「自死の理由」が出て来ているのですが、報道が正しければ「中学受験に向けての勉強が大変」だったということのようです。

 

二度とこのような悲しい出来事が起きないようにと願い、ここからは僕自身の経験を書きます。

僕は東京都ではありませんでしたが、クラスの4分の3が中学受験するような小学校に通っていました。

2月1日(中学入試試験の最も多かった日)は、クラスに10人ほどしかおらず、授業にもならないので、ずーっと外遊びをし、給食はみんなで机を並べ、おかわり食べ放題だったことが、僕の苦手だった「学校生活」の中でも、殆ど唯一といっても良いほどとても楽しかった思い出になっています。

 

受験した中でも第1or第2希望校に受からなかったら地元の中学にそのまま進学する、という選択をした同級生もいたので、受験をしたみんなが私立中学に進学したわけではありませんが、クラスの半数以上は私立中学へと進学していきました。

僕にとって、2月1日は「楽しい思い出」になっていますが、僕自身も中学受験のために小学4年生の時、電車で3駅のところにある塾に通っていました。

クラスメイトの多くがそうしていたように、「みんながしている」ので僕も私立中学校へと進学をしようとしていたのです。

 

では、なぜ、僕は結局、受験をしなかったのか?

 

それは、僕が「中学受験をしない」と宣言したからです。

どんなきっかけだったか今では全く思い出せないのですが、小学4年の終わりか、5年生の途中だったか、母と兄と口論になりました。

そのときに、僕は泣きながら「受験なんかしたくない!」「勉強なんかしたくない!」、「塾を辞めたい!」と宣言しました。

それも、「中学になったらちゃんと勉強するから、小学校の間はどんなに成績が悪くても好きにさせてほしい」という条件をつけて。

 

僕に勇気があったとは思いません。

今、大人になって、ひとの親になって別にそんな必要もないと思う条件(【中学生になったらちゃんと勉強する】)を自ら課して(実際に僕はその約束を中学で遂行しました)、「中学受験をしない」と宣言したのです。

 

今になって思うと、僕の親(特に母親)も特に深く考えることなく僕を塾に通わせたのだと思います。

僕の母親は中学から私立校に通っていましたし、僕の母親が親しくしていた(今もしている)同級生たちはみんな塾に通っていました。

だから、僕が塾に通い、中学受験をするというのはごく「普通」のことだったと思います。

 

でも、子どもだった僕にはそれに抵抗(「塾に行かない!」「受験しない!」「勉強しない!」)することはとても苦しい選択でした。

(母)親の期待を裏切っているように思えましたし、「みんながしていること」を僕はしなかった(したくなかった)のです。

 

だから、今回の自死をした女児たちの気持ちがなんとなく分かります。

たぶん、僕に小学校時代に「受験」について率直に気持ちを分かち合える友達(僕は学校が苦手だったので、そんな友人はいませんでした)がいたら、「大人」よりも言いやすいし、「自分も同じだよ」と言われたらすごく嬉しかったと思います。

そして、追い込まれたあげく、「もう生きていても仕方がない」と選択してしまったかもしれません。

 

だから、このニュースは僕にとってとても人ごととは思えませんでした。

自死未遂を何回かしていますし、この子が僕だったかもしれません。

 

だからこそ、僕が書いておきたい、伝えておきたいのは、「今でも僕は生きているよ」ということです。

人は簡単(のように僕には見える)に「生きていれば良いこともある」「命は大切なもの」と言います。

僕には「生きていれば良いことがある」とも言えません(僕の思い出の殆どはつらく、苦しく、思い出したくもないものです)。

 

でも、今、僕はこうして生きています。

今苦しんでいる人にはどうか、今日一日も生きていてほしいと思います。

それが僕が今生きている理由でもあるからです。

 

そして、僕の(母)親がそうだったように、特に疑問にも思わず、「みんながしているから」と子どもの生き方を選んでいる親、保護者の人たちもどうか、今一度考えてほしいと思います。

今、子どもにさせていることが、子ども自身が本当に望んでいることかどうか。

多くの子どもは「親」「大人」に自分の素直な気持ち、特に苦しい気持ちを伝えることは出来ません。

 

二度とこんな悲しい出来事が起きないように願います。