『謝るなら、いつでもおいで』
川崎の事件に関連するようなものが続いていますが、以前から読みたいと思っていた本がちょうど【少年犯罪】に関するものだったので、この本について書いてみたいと思います。
覚えている人もいるかと思いますが、2004年に佐世保市で起きた、当時小学6年生の女児が同級生の女児をカッターナイフで首を切って殺したという事件で被害者の近しい関係者が書いたものです。
被害者が毎日新聞の佐世保支局長の娘であり、支局長宅が支局の階上にあったため、被害者の父親の部下であり、同時に被害者ともよく会っていた(事件前日も)、当時佐世保支局に勤めていた毎日新聞の記者が事件から10年経って書いたものです。
被害者と近しい間柄ということから、少年法に関しても厳しい意見が度々出て来ますが、それでも全国紙の新聞記者であるからか、かなり抑制が効いていて、単に加害者を憎むというような論調ではありません。
事件がどのように起きたのか、なぜ起きたのか、それを上司である被害者の父を間近で見ながら、そして事件についての記事を書きながら、傍観者でもなく、かといって家族でもない微妙な心情を抱えながら経緯をたどっています。
1部も読み応えがあるものでしたが、2部でのインタビューがとても心揺さぶられるものがありました。
被害者の父親の部下ということもあり、1部では被害者の父親に焦点がどうしてもおかれて書かれているものの、インタビューでは、被害者の父親、加害者の父親、被害者の兄がそれぞれ語っています。
最後に被害者の兄のインタビューが載っているのですが、今まで【被害者の父親】が中心だったのが、実は一番被害者に近い存在であり、加害者のこともよく知っていたのが兄だったということが分かります。
けれど事件当時中学生だったということもあり、生活を立て直すことは周りの人がしてくれたものの、誰もケアもせず、話も聞かない、というある意味で視界から逸れてしまっている存在だったことが分かります。
そして、みんなの視界から逸れてしまっているが故に、いろんな苦しみが10年経っても解消されていないことがわかります。
でも、その中で彼が言っている言葉が題名になっている(そして題字も本人が書いている)「謝るなら、いつでもおいで」というものでした。
加害者のこともよく知っているからこそ、言える言葉であり、ものすごく重い言葉でした。
こうしなければならないとか提言のようなものはありませんが、事件から10年経ち、少し俯瞰的に見ることが出来るからこそ語れるものがあるように思いました。
【少年による凶悪犯罪】を考える上で、是非読んでもらいたい本だと思いました。