映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

日本PTA全国協議会会長のインタビューで身震いした。

時事ネタです。

しかも、僕が放置したままのPTAに関する話です。

既に読んだ人も沢山いるかと思いますが、最近、朝日新聞でPTAの特集が組まれています。

読者からアンケートを取ったり、それを元にPTA関係者にインタビューをしたり。

で、先日24日の記事は4回にわたるPTA企画の最終回として、日本PTA全国協議会の尾上浩一会長へのインタビューでした。

PTAに関する読者の疑問、組織トップの回答は?朝日新聞

ブログタイトルが少し煽り気味になってしまいましたが、このインタビュー記事を読んだ感想としては、まさに本当に身震いしました。

僕が気になった点を挙げていきたいと思います。

「共働き」「1人親」は理由にならない

「共働きだから忙しい」「他にやるべきことがある」という理屈はよく分かりません。私だって仕事をしながら週4日ほどPTAに関わり、妻も働いています。おそらく一番忙しいと思いますが、「地域のため」「子どものため」と思うからやっている。」

いわゆるブラック企業の経営者と同じ論理です。

「自分もこれだけやっている、お前もそうしろ」、と。

当たり前のことですが、人それぞれ能力も違えばPTA活動に割けるリソースも違います。

「自分も共働き」、だから、「共働き、1人親でもなんとかしろ」というのは相手の立場を完全に無視しています。

PTAの活動の目的は「安定した労働力の確保」

「親が自分の子どもだけに関わっていては、いい子には育ちません。帰属意識規範意識、地域を思う気持ちなど、PTAは人間形成にもってこいの場。そうした意識は、安定した日本の労働力を確保することにもつながります。」

PTAの活動の目的は「安定した日本の労働力を確保すること」ではありません。

ではPTAの活動の目的は何かというと、

「PTAは、児童生徒の健全な成長を図ることを目的とし、親と教師とが協力して、学校及び家庭における教育に関し、理解を深め、その教育の振興につとめ、さらに、児童生徒の校外における生活の指導、地域における教育環境の改善、充実を図るため会員相互の学習、その他必要な活動を行う団体です。」 (昭和42年6月23日文部省社会教育審議会報告)

「健全な成長を図ること」を尾上会長は「安定した日本の労働力を確保すること」につなげて考えているのでしょうが、「健全な成長」の最終目的は「労働力」というのは、(日本の特に政府の意図とはまさにリンクしますが)教育というものを矮小化させすぎているように思います。

人の集まるところにはいじめのようなことは起きるもの。我慢しろ。

――役員を断って陰口を言われたり無視されたり、「大人のいじめ」のようなことも起きています。

 「ちょっとぐらいのこと」としか思わないんですよね。人が集まるところでは、いじめのようなことは起こるものです。そんな時に相談相手や解決方法を探ることも、周囲との関わり方を身につけることになるのではないでしょうか。それも経験。それなのに何かあると「辞める」とか、「あの人が嫌いだから行かない」とか、自分の子どもがやったら注意するようなことを、大人がやってはいけない。

今回のインタビュー記事で一番衝撃的だった発言がこれでした。

「人が集まるところでは、いじめのようなことは起こるもの」だから、逃げてはダメだというわけです。

僕は子どもたち(自分の子どもだけではなく、関わっている生徒にも全員)に必ず言っているのは「いじめなどでつらかったら、保護者や教師に嘘をついてでも学校を休んだ方が良い。全力で逃げて良い。」ということです。

大人の世界にも「いじめ」があるのだから、子どもの見本になれるように「いじめ」に慣れろ、とは、とても教育に関わっている人の発言とは思えません。

教育に関わっている人ならば、まず、①いじめに遭っている人たちの安全・安心を確保した上で、②加害者に適当な処分をし、③いじめが二度と起きないようにすることがつとめだと僕は思います。

それを、多少のいじめはこの社会にあるのだから、それを我慢しろ、というのは、「自分たちの生きている社会は戦場だから、銃弾や爆弾に当たらないようにしろ。戦場から離れることはダメだ。戦え。」と言っているようなものです。

僕は本気で「戦場から逃げろ。銃弾や爆弾が飛んでこないような安全な場所に行って休め。」と思っているし、実際に子どもたちに伝えています。

他にも気になる発言は端々にありましたが、最後の発言を読んで、「僕は本当にPTAを退会して良かった」と思いました。

もちろん、トップがこういう考え方だからといって、日本全国のPTAが同じ考え方とは言えませんが、トップがこういう考え方である以上、現在PTAに寄せられている批判に向き合うことはないだろうな、と思いました。