映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

『ママ友がこわい』

先日、Amazon KindleKADOKAWAセールをしていたので、前からちょっと気になっていた本をいくつか読んで見ました。

 

ママ友がこわい 子どもが同学年という小さな絶望

 

コミックエッセイなので、さらっと読める内容だったのですが、読んでてつらかったです…。

 

内容は、同じ幼稚園に通うママ同士の話です。

仲良くなったと思っていたら、ちょっとしたきっかけで無視されてしまうようになり、少しずつそこから(関係ではなく、自分の気持ちが)回復してきたと思ったら、、、、結局はそこから抜けられないという絶望的なラストでした。

絶望的なラストではありますが、これが現実かなぁ、と僕は感じました。

 

 

僕は人と関わるのが割と不得手なので(ということを書くこと自体、それを肯定しているようで自己嫌悪に陥ってしまうのですが)、「子ども同士が仲良くするために」、保護者と仲良くならないといけない、という状況を考えただけで苦痛を感じてしまいます。

 

なので、この主人公のような人間関係の悩みを抱えることはないかなぁ、と思うのですが、でも、こうなってしまう、ということも分かるような気がします。

 

これは、女性ならではのややこしさかな、と思ったのは、「2人目」(のプレッシャー)とか、「若さ」とかです。

「2人目」のプレッシャーとかは僕が産む性ではないのでありませんし(まぁ、稼げというプレッシャーはあるのかもしれませんが、僕にはありませんでした)、「若さ」は僕の経験上多くの場合「半人前」扱いされるので、メリットに感じたことはありません。

子どもの保護者会に出るといつも僕は最年少でしたし、主夫の集まりでもやはり最年少なので(これはさすがにもっと若い人が出て来ても良いと思うのですが)、半人前扱いをされることはあっても、嫉妬されたことはありません(多分)。

 

2人目が産まれたらまた今のこのつらい人間関係があるかもしれないという恐怖があるのに、義理の親などからのプレッシャーで子どもを産もうとする、というその気持ちの機微が僕には今一分かりませんでした。

 

 

それは、多分、ママ友との人間関係のつさらの発端もそうだったのですが、自発的な行動じゃないからということだと思います。

「子どもが嫌われないように」その子の母親と良好な関係を築こうとすることとか、自分では(今は)妊娠・出産は考えられない状態なのに親などの期待があるから「2人目」を考える、とかです。

両方とも、自発的な行為じゃないので、今一理解出来ませんでした。

 

 

まぁ、僕は割と短絡的にそう思ってしまいます。

それは、一度の人生なので、つらかったり苦しかったら、すぐにそこから逃げて、つらかったことを忘れて、楽しいことを見つけた方が良いと思っているからです。

(こう思うのも、なかなかそれが出来ないからこそなのですが。)

 

 

最後に、この言葉は良いなぁ、と思った、2人目のプレッシャーに悩む主人公に言った義理のおばあさんのセリフです。

 

子どもがあれば

幸せもあるけど

苦労もある

 

子どもが1人ということは

苦労も1人分ということで

それも幸せだよ

 

人それぞれ幸せは違うんだから

子どもがいる、ということは、「幸せ」ということが前面に出されますが(出さないと批判されますが)、自分の「自由」ということを考えた時にはやはり「制約」になるのは確かだと思います。

子どもがいることによって、幸せを感じるかもしれませんが、同時に苦労もするわけで。

 

だからこそ、僕は、あんまり「子どものため」ということは言いたくありません。

僕は僕の人生を生きるのであって、自分の選んだ行動の責任は自分自身で取りたいなと思います。

こう思っているだけで、割と「微妙な距離感を取らないといけない人間関係」というのはなくなっていくように思います。