映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

「アクト・オブ・キリング(劇場公開版)」

去年になってしまうのですが、インドネシアで1965年の9月30日事件以降に起きた虐殺を被害者側から撮った「ルック・オブ・サイレンス」が公開されました。

映画評論家がこの映画自体を語っていたり、あるいはドキュメンタリー映画の監督がこの映画について触れていたりして、「これは観ないと!」と思ったのですが、前作である「アクト・オブ・キリング」を観ていなかったので借りて観ました。

 

アクト・オブ・キリング(字幕版)

 

僕が観たのは劇場公開版で、他のバージョンで「オリジナル全長版」というものがあるようです。

事前に分かっていたら、「オリジナル全長版」を借りれば良かったです。

 

アクト・オブ・キリング《オリジナル全長版》(字幕版)

 

この映画、インドネシアで何が起きたかをまず説明しないといけなくなってしまうのですが、1965年に軍のトップ6人が殺されます。

7番目にいたスハルトという人がスカルト大統領を追い出し権力の座に着くのですが、殺された6人が「共産主義者に殺された」ということにしました。

そこから、「共産主義者」を捕まえ、拷問し、殺害していきます。

共産主義者」という建前になっていますが、「共産主義者」と言ってしまえば誰でも良かった訳で、華僑なども捕まって殺されていきます。

そして、今もその虐殺はなかったこと、というか、良かったこととされていて、何人も殺した人たちが力を持っています。

 

スハルトは2008年に死んでしまいましたが、虐殺を実行してきた人たちは生きているので、どのようなことをしたのか「再現」してもらおう、というのがこのドキュメンタリー映画です。

 

それが「殺人」であれ、自分たちがしてきたことが「正しかった」と考えているので、「再現」することに何の躊躇もありません。

「再現」をお願いしたのが、どんどん演出などにも自分たちが手を加えていき、自分たちが映画を作っているような感じになっていきます。

映画の撮影のため、ということで、現にある集落を焼き払って映画を撮影までします。

 

中に、自分の親が殺されたという男性との掛け合いもあるのですが、気まずい空気は流れるものの、「まぁ、昔のことだし」というような感じであしらわれたりという場面も。

 

最後の方では、自分自身が殺されるという場面も「再現」するのですが、その時初めて自分自身がやったことを感じる場面があり、とても印象的です。

でも、どんなに苦しんだとしても、殺した相手は生き返ることはないし、殺したという事実も消えることはありません。

 

と、あたかも、「再現」する人たちが「悪」というように捉えてしまうかもしれませんが、そもそも9月30日事件が起きたのは、アメリカに従わなかったスカルトをどうにか引き摺り下ろしたいと考えていたアメリカの工作とも考えられています。

監督のジョシュア・オッペンハイマーアメリカ人で、当然、このことも知っているはずなのに、あたかも目の前にいる人たちを対象者のように一定の距離を置いていることには嫌悪感を抱きます。

 

例え50年前のことだったとしても、例え自分が産まれる前のことだったとしても、アメリカ人としてどのように考えているのか、ということは全く語られません。

それはずるいといか、卑怯というか。

アメリカが自分たちの好きなようにさせようとしなければ、こんなことは起きなかったのに、そのことについて何のコメントもないのは、未だにアメリカが抱えている病理でもあるような気がします。

 

いずれ、数十年後にはアフガニスタンイラクでの同様のテーマを扱った映画が出てくるかも知れません。

 

勝手に五段階評価(基本的に甘いです)

★★★★☆

 

2016年に観た映画ランキング

 

1 「セッション」 2 「アクト・オブ・キリング(劇場公開版)」 3 「図書館戦争 BOOK OF MEMORIES」 4 「さよなら歌舞伎町」 5 「ブルックリンの恋人たち」 6 「龍三と七人の子分たち」 7 「脳内ポイズンベリー」 8 「娚の一生」 9 「荒川アンダーザブリッジ」