映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

『いのちの車窓から』

最近、読んだ本のことを書いていなかったので、久しぶりに最近読んだ本のことを書いてみます。

いのちの車窓から

星野源という人をどのように認識したのかは、人それぞれいろいろあると思います。

たぶんツレや両親だったら、NHKの朝の連続ドラマを見続けているので「ゲゲゲの女房」で認識したと思いますし、最近知ったという人は、紅白歌合戦やTBSドラマの「逃げるは恥だが役に立つ」などかなと思います。

僕が初めて星野源という人を認識したのがいつだったのかは忘れてしまったのですが、友人がFacebook星野源だったか、星野源がやっていたバンドのサケロックのライブに行っている様子を見たことがはじまりでした。

そのあとに行った本屋さんで星野源の本が置いてあり、(普段なら単行本を買うのはかなり慎重になるのですが)なんとなく気になったので買って読んでみました。

その時に手に取った本が確か『蘇える変態』だった気がします。

なんとなく買って読んでみたその本の文章が面白く、『そして生活はつづく』、『働く男』もすぐに読みました。

そのどの文章も面白かったので、そこで書かれている星野源の音楽も興味が沸き、音楽も聴くようになりました。

なので、僕にとっては星野源という人は、俳優、ミュージシャンである前にエッセイストなのです。

と、僕の中でエッセイストである星野源が雑誌「ダ・ヴィンチ」に連載していたものとオリジナルを少し加えたのが『いのちの車窓から』です。

多分多くの人が知りたいと思っているであろう、紅白歌合戦に初出場が決まった時のこと、「逃げ恥」撮影中のことなどが書かれています。

ファンにとってはたまらない話なのかな、と思います。

それが、色んなサイトや新聞などでの書評に表れているようです。

多くの人が絶賛していた「ラ・ラ・ランド」の感想を書いた時のように気持ちで書くのですが、以前のエッセイのように楽しんで読むことは出来ませんでした。

まだまだマイナーな存在だった星野源という人が一気に日本中に知られるようになった時期であり、その立場も固めつつあった時期に書かれたものなので、それまでのような親近感が全く無くなってしまったということもあります。

でも、そんな親近感は勝手にこちらが感じていたもので、星野源という人には全く関係がないことなので、それは仕方がありません。

でも、その「親近感」には、単に有名かどうか、日本中に知られた存在かどうか、ということではなく、星野源が自分自身をさらけ出していることから来る親近感だったと思います。

下ネタだったり、小学生、中学生時代の失敗だったり、言わなくても書き残さなくても良いことをあえてさらけ出すということによって、読んでいる身としては、慰められたり、勇気づけられたり、自分自身の過去を振り返りつつ、これからのことを考え、その意味ですごく身近な存在としての星野源がいました。

ですが、この『いのちの車窓から』ではそのような身近な存在としての星野源はまったくいません。

ドラマの撮影があり、テレビに出ている人たちとの交流があり、歌を作り、ライブをし、番組に出演する。

これらの星野源の日常が単にそれを読んでいる人たちとの生活とかけ離れているだけでなく、星野源自身がさらけ出されていると感じるものはありませんでした。

単に星野源の日記を読んでいるような、そんな感じでした。