映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

『ちょっとそこまで旅してみよう』

今日も最近読んだ本について。

益田ミリさんの本については今までも何度か取り上げてきましたが、文庫で出たということで買って読んでみました。

ちょっとそこまで旅してみよう (幻冬舎文庫)

元々は2013年に刊行された『ちょっとそこまで ひとり旅 だれかと旅』という本に文庫版のエピソードを加え、題名を少し変えて文庫化して出版したようです。

僕自身は旅を(多分)よくしている方で、結婚以来自由に旅をする機会は皆無でしたが、5年前くらいに急にツレから「行ってくれば?」と言われたことをきっかけに、死ぬまでに行きたかったインドを筆頭に、イタリア、友人が駐在していたオランダ(とその周辺国)、父親とのトルコ行きが中止になってしまったので昨年末に次男とスペイン、と行ってきました。

僕自身の自覚としては、旅行自体はそこまで好きではありません。

インドでは結構しんどい思いをしたし、なによりもインドはかなり久しぶりの一人旅だったのですごく緊張し、それだけで体重がかなり減りました。

(この辺の感覚はメレ山メレ子さんと岸政彦さんの対談で出てくる話がとても共感出来ました。)

「そんな思いをしてまで何故行くの?」と疑問に思うかも知れませんが、小学生の時、通知表に書かれたり、担任と保護者の面談で言われた「飽きっぽい」という言葉が関係している気がします。

「飽きっぽい」というとすごくネガティブな響きで、実際にそういうネガティブなメッセージとして僕も大人から伝えられ、受け取っていました。

でも、逆に言えば、色んなことに興味を抱き、一つのところにとどまってはいられない、ということ。

旅自体にはすごく緊張したり、帰って来てからすごくホッとしたりするのですが、それでも旅に出かけて行くのは何と言っても一つのところにとどまってはいられないというこの性分があるからではないか、と思います。

いきなりかなり長い歴史の話になりますが、多分、人類が定住生活をしていない時代だったら、今の僕も特に問題などなく、むしろ、色んなことに興味がわき、いろんなところに移動することもいとわない性分が「生きる上でのスキル」に役に立ったのではないか、とさえ思います。

定住という生活スタイルを取り、殆どの人は一つのことをやり続け(たとえば仕事という名の会社組織や結婚生活)、死んでいくということが「当然」という生活になっている今、逆に「色んな事に興味が沸き、じっとしていられない」という性分はマッチしていないのだと痛感します。

と、自分自身が何故「旅」というテーマに興味が沸くのか、引き寄せられるのかということを感がえるきっかけになり、読んで良かった、とは思うものの、他の人には全く関係のない話でした。

益田さん自身の旅(一人旅、パートナーとの旅、母親との旅、友人たちとの旅)が書かれているのですが、一番良かったのは、かなりざっくりしたものであるとはいえ、大まかな料金が書かれていること。

興味が沸く旅先は読者それぞれ違うと思いますが、その時に、自分だったらこのくらいかかるかな、とかこういうプランも出来るのか、と想像出来ることが良いな、と思いました。