映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

『もっと、やめてみた。』

このところ読んだ本のことについて書いていなかったので、久しぶりに本の話を。

最近、本をネットで買うのを控え、実店舗の古本屋さんで買うようにしていたのですが、たまたまAmazonでこの本が目に入りました↓

もっと、やめてみた。 「こうあるべき」に囚われなくなる 暮らし方・考え方 (幻冬舎単行本) Kindle版

Kindle版だと400円くらいだったので、(それでも100円とかで買っているので高いのですが)買って読んでみました。

というのもこの本はタイトルに「もっと」とあるように続編なのですが、一冊目↓を去年の丁度今頃読み、とても良かったからです。

やめてみた。 本当に必要なものが見えてくる暮らし方・考え方 (幻冬舎単行本) Kindle版

去年読んだ一冊目の時には、掃除機をやめた、という話が載っていて、我が家の掃除機も壊れ買い換えるか悩んでいた時期だったので、本で書かれていたように箒を取り入れたりしました。

(その後我が家では結局掃除機を購入)

いわゆる「シンプルに生きましょう」と啓発するようなものではなく、作者が「やめてみた」り、何かをやめてみた代わりにこんなことし始めた、というような実践が書かれています。

なので、何か「役に立つ方法」を求めている人には向かない内容かも知れません。

それと既に何かシンプルに生きるというようなことを実践している人には「今更そんなこと?」と言われるかも知れません。

でも、僕が良いな、と思ったのは、普段の生活(それは道具だったり、人間関係だったりしますが)を改めて「それって必要なの?」と問い直す姿勢です。

毎日、生活する、ということを続けていると、どうしても、今やっていることが当たり前になっていきます。

例えばそれは掃除機で掃除をすることだったり、付き合いで飲み会に行くことだったり。

いつしかそのずっとやっていること自体、その行為をすることが自分にとって必要なことになってしまうこともあるのかな、と。

家をきれいにすることが必要であれば、それは掃除機でも、箒でも構わないわけですし、付き合いの飲み会は久しぶりに会う友だちに会うということが楽しみであれば別に飲み会でなくても、あるいは毎回行かなくても良い。

その、これって何のためにやっているんだっけ?とふと立ち止まるという経験が必要なのかも知れないな、と気づかせてくれます。

だから、何かをやめてみた結果、やっぱり自分にはこういうことが必要だった、と新しく始めることは悪いことではないと思いますし(それを批判している人たちがいますが)、何かをやめてみた結果新しく何かに気づいたのなら、それは無駄なことではなかったのだと僕は思います。