映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

かみ合わない話し合い

この一年半続いている政治・国会の話ではなく、自分が抱えている問題についてなのですが、話し合おうとしても、相手と話がかみ合わなくて、本当に困っています。

 

なんだか国会での政府の答弁と同じように、論点ずらし、質問に答えない、先延ばし、責任転嫁、それらすべてをされています。

 

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元配偶者が子どもたちを連れて出て行って、そのまま別居となり、そのときから話をしているのは、未だに会話することさえ出来ていない、子どもたちと僕との面会と、財産分与についてです。

 

先日あった運動会のように、学校行事には顔を出しているので、子どもたちに全く会えていないというわけではないのですが、会話はほとんど出来ず、子どもたちに宛てた手紙3通も、一通は僕が再三要求したことで1ヶ月後に渡され、一通は未だに子どもたちに渡されたのか確認できていません。

 

あまりにもまともに話し合いが出来ないので、家庭裁判所に調停を申し立て、申し立てから約2ヶ月弱経った先月末に初めての調停が行われました。

 

調停については今度改めて書くとして、そこで調停委員から僕に伝えられたのは、「相手方(元配偶者)としては、ちゃんと子どもたちと○○(僕)を会わせたいと考えているようです」との内容でした。

 

けれど、運動会で、元配偶者が僕を子どもたちに近づけないような態度を取っていたこと、僕の母に対して社会人としては無礼な態度だったので、確認のために、メールをしてみました。

 

「調停委員からは「子どもたちとちゃんと会って欲しい」と伝えられていたのだけれど、今日の態度はどういうことだったのでしょうか?」「会って欲しいどころか、会わせようとしていない、会わせたくないと受け取れるのですが。」と。

 

こういう質問をされたら、「会わせたいと考えている」「会わせたくない」と答えるのが答えとしては適切だと思うのですが、それには答えず、違う話題にしたりして、答えることがないのです。

 

なんだか、国会と同じように、何度も何度も同じ質問をしたり、まともに答えないので、外堀を埋めることによって、これ以外判断出来ないようなことをしなければならず、時間と労力ばかりかかってしまって、本当に疲れてしまいます。

 

こういった、まともに話し合いをしようとしない人たちにはどうしたら良いのでしょうか。

近づかないというのが一番でしょうが、国会と同じように関わらない訳にはいかない場合もあるわけで。