映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

質問無視話法

先日、新聞を読んでいたら、国会での答弁がかみ合っていない様子について「信号無視話法」として取り上げられていました。

 

首相の答弁、「信号無視話法」 枝野氏との討論、会社員が分析:朝日新聞デジタル 

 

ご飯論法」(参照:「朝ごはんは食べたか」→「ご飯は食べてません(パンは食べたけど)」のような、加藤厚労大臣のかわし方(上西充子) - 個人 - Yahoo!ニュース)は知っていたのですが、この「信号無視話法」は知りませんでした。

 

新聞記事ではビジュアル的にもわかりやすいとは言えない感じだったので、該当のブログを読んでみました。

 

note.mu

 

このブログ記事を読むと、首相の答弁が視覚的に、質問に答えているか、答えていないかが、信号と同じく青黄赤の色でわかりやすく表示されています。

Session-22でよく国会の音声を取り上げているので)答弁の内容自体は知っていましたし、改めてひどいなということがわかったのですが、この「信号無視話法」を知り、元配偶者とのやりとりでストレスと疲労を感じる理由がわかりました。

 

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「信号無視話法」のように僕と元配偶者とのやりとりを視覚化したところで意味がないのでしませんが、まさにこの「信号無視話法」と同じような繰り返しをしています。

質問をしても答えはなく、違う話をされたり、何回聞いてもまともに答えない。

話をそらすだけでなく逆に質問さえしてくることもあるので、こちらがそちらの違う話に気を取られると、結局質問への返答はありません。

 

また、こちらが質問をしているので、たとえ相手から返答が来ておらず、逆質問になっていたとしても、その逆質問に僕が答えないと、相手が質問に答えなくても良いという口実を作ってしまうかも知れないので、結局逆質問に答えつつ、質問を繰り返さなければなりません。

これは本当にストレスと疲労が溜まります。

 

国会での様子は「信号無視話法」とのことですが、僕と元配偶者とのやりとりは、端的に「質問無視話法」とでも言うべきものだと感じています。

 

「質問無視話法」が繰り返され続けると、もはやコミュニケーションが取れていませんし、今後一切関わることはしたくないという気が僕は起きているのですが、元配偶者は何を狙ってこのようなことを繰り返しているのでしょうか。

 

国会でのように、嘘をついているのか、隠したいことがあるのか、それとも他の何かの理由なのか。

そもそも、子どもたちとまともにコミュニケーションが取れているのかさえ心配になります。