映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

坂爪真吾『孤独とセックス』

先月は、活字4冊、漫画66冊を読み、映画など映像作品23作品を観ました。

うつの症状で活字が頭の中に入ってこないということがあり、相変わらず漫画を大量に読んでいますが、4月はほとんど活字の本を読めなかったのが、少しずつ活字も読めるようになってきました。

 

タイトルである程度読む人が絞られてしまうような気がするのですが、著者の坂爪真吾さんは、僕と大体同じくらいの年齢で、僕が大学や大学院で「しょうがい」(障がい)について学んでいるときに、ホワイトハンズという、完全にタブー視されていた「しょうがい者と性」「しょうがい者の性」に取り組む活動を始めた方で、その当時(10年以上前)から注目されていました。

 

一般社団法人ホワイトハンズ:私たちは、新しい「性の公共」をつくります。

 

ということで、今までも『セックスと障害者』、『男子の貞操―僕らの性は、僕らが語る』、『はじめての不倫学~「社会問題」として考える~』、『誰も教えてくれない 大人の性の作法』(NPO法人マドレボニータインストラクター藤見里紗氏との共著)と読んできました。

 

孤独とセックス Kindle版

 

レビューの評価は結構好意的だったのですが、僕自身の事前に予想した内容とは違うものでした。

まず、「孤独」と「セックス」そのものの定義(らしき)ものが設定されていないこと、調査結果などのいわゆるエビデンスが提示されている項目が少ないことが理由です。

 

なので、「孤独とセックス」というタイトルではあるものの、内容からは「孤独と性」の方が的確なのではないかと思いました。

もちろん「性」には「セックス」という意味もありますが、日本では「セックス」というと「性交」しかも、挿入と射精を含むかなり狭い意味で使われているので、この本の内容としては「セックス」が必ずしも「性交」をさしておらず、「性」の方がふさわしいように思いました。

 

僕自身が本書を読む前に期待していたのは、孤独を感じるからこそセックスを求め、不特定多数とセックスを繰り返す人や、リスクの高いセックスを繰り返す人がなぜそのようなことをするのか、ということに焦点を当てている内容です。

著者の坂爪さんは本書でも書いているように、上野千鶴子宮台真司という、日本有数の社会学者のゼミに所属していたので、社会学的に分析するのかと期待していました。

 

もちろん、10代の妊娠を日本では社会的に排除する傾向にあるため、当事者のその後の貧困リスクを非常に高めていること、けれども、10代の人工妊娠中絶は20代や30代の3~4分の1という件数であることなど、調査結果もあげながら現状の課題と、問題解決への糸口を指摘しています。

 

けれども、基本的には、著者がどのような「孤独」にあったのか、その「孤独」の中で「セックス」に救済を求めていたという個人的な出来事を基に、問題を解決するという方向ではなく、自身の経験から「考え続けることの意味」を提示するというものでした。

その個人的な経験は、性について語ることがどの年齢においてもタブーとされるこの社会にあってはとても重要なものだと思いますし、「考え続けることの意味」を提示することもとても重要だと思います。

 

従って、僕のように孤独を埋めるためにリスクの高い性やセックスを求める人たちの理由や、そのリスクや負担を解決することが出来なくてもどのように緩和することが出来るのかということを考えたい人にとっては、物足りないものになっているかも知れません。

 

僕自身の当初の期待とは異なる内容でしたが、ホワイトハンズでの最近の活動として行われている「ららあーと」について知ることが出来たことは良かったです。

 

ららあーと:初心者のためのバリアフリーのヌードデッサン会(裸婦デッサン会)

 

当初は「しょうがい」を持っている人たち向けに行われていた活動だったとのことですが、異性の身体、あるいは、自分以外の身体を直接ちゃんと観たことがないという人が多いということがわかり、今では年齢・性別・経験・しょうがいの有無を問わず誰でも参加することが出来るそうです。

 

性欲を満たす以外の場で、自分以外の身体を直接観察するという経験は多くの人にとってほとんどない経験だと思うので、自分自身の性を考えるきっかけになるような、とても良い活動だと感じました。