映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

「僕のワンダフルライフ」

先日、本を読んでいたら、「今までで一番幸せだった時はいつですか?」という質問がありました。
うーん、と悩んだのですが、結局、これだ!というものを思いつけませんでした。
幸せだった時はいつだったのか、という質問は、「人生の意味」を考えるということの前段階の問いだったのですが、答えられなかった自分は自分の人生の意味みたいなものを見つめ直す前段階すら考えられず、どうしたものか、途方に暮れています…。

 

僕のワンダフル・ライフ (字幕版)

 

youtu.be

 

映画『僕のワンダフル・ライフ』公式サイト

 

作品データ映画.comより)
監督 ラッセ・ハルストレム
原題 A Dog's Purpose
製作年 2017年
製作国 アメリ
配給 東宝東和
上映時間 100分
映倫区分 G

 

ストーリー(公式サイトより)
僕の名前はベイリー、ゴールデン・レトリバーの子犬だ。ある夏の暑い日、8歳のイーサンと彼の母親に助けられる。
イーサンのママが渋るパパを説得し、僕は晴れてイーサンの家族の一員に!夏休みには、イーサンの祖父母の農場へ泊まりにいき、毎日のようにアメフトのボールで遊んだ。
やがて時が流れ、イーサンは逞しく成長し、高校のアメフト部で将来有望な選手として活躍するようになる。イーサンの両親の関係は壊れてしまい、パパが家を出て行くことになった。
高校生活最後の夏休み、イーサンは遊園地で出会ったハンナに初めての恋をする。名門大学の奨学金を獲得し、喜びに弾けるイーサン。ところが、嫉妬にかられたダメな同級生が、家の中に花火を投げ込んだ。あっという間に火の手が上がり、ママと僕を先に避難させてくれたイーサンは、逃げ遅れて脚に大けがを負ってしまった。
数年が経ち、年をとった僕にお迎えが来た。僕は悲しむイーサンを見て、「イーサンを愛し、幸せにするのが僕の役目なのに」と、心から悔やみながらこの世を去ったんだ。
ところが!
僕はエリーという女の子のシェパードに生まれ変わった。その次にもコーギーのティノに生まれ変わった僕は、マヤという孤独な女性が、結婚して幸せな家族を作るまでを見届けた。そして、4度目の犬生で飼い主に捨てられた僕は、ついにイーサンと再会した! 僕の心もしっぽも喜びではちきれそうなのに、もちろんイーサンは僕だとわからない。その時、僕は気付いた。なぜ何度も生まれ変わったのか、僕の真の使命は何なのかに──。
 

勝手に五段階評価(基本的に甘いです)
★★★★☆

感想
Amazonでの評価が高かったので観てみた映画です。
公式サイトにはストーリーの5分の4くらいが詳しく載っているので、それを読むと内容が分かってしまうのですが、いわゆる「転生」(生まれ変わり)の話です。

日本を含め、東アジアだと、ヒンドゥー教や仏教、インド哲学・東洋思想でよく観られるので、日本でも映画でちょくちょく「転生」がテーマのものは見かけることがあります。
(ちょっと広い意味で転生を捉えると、すごく流行った「君の名は。」とか)

なので、日本含めた東アジアで、今回の映画のように犬に「魂」みたいなものがあって、それが生まれ変わっても、姿は変わっても残っていて、魂だけはずっと残り続けるという内容の映画が作られたのなら分かるのですが、それ以外の地域の作品だということで少し驚きました。
けれど、ちょっと調べてみたら、僕が知らないだけで結構作られているようです(→参照:Category:転生を題材とした映画作品 - Wikipedia)。

Amazonでの評価が高かった理由もきっとこの「転生」を受け入れられるか、はたまた「魂」みたいな感覚を信じているかどうか、そして、端的に「犬が好きか」どうかがすごく大きな影響を与えているように思います。

僕自身は転生は受け入れつつも、魂みたいな感覚はあまりよく分かりません。
肉体に精神が宿り、肉体がなくなれば精神もなくなるのではないか、とそういう感覚を持っています。

この「魂」みたいな感覚も、東洋に顕著なのかな、と思ったのですが、ヘブライ語聖書(いわゆる『旧約聖書』)の『創世記』には人間を土の塵で作ったと書いているので、割と肉体と魂を分ける感覚を、ユダヤ教キリスト教イスラームでも理解出来るのかも知れません。

物語の内容については、ベイリーの飼い主はみんなそれぞれ孤独を抱えているのだけれど、それがなぜなのか、その孤独は犬だけによって満たされるのか、という点についてもっと深掘りして欲しかったです。
ベイリーがいることで飼い主と誰かを結びつけるということもあるのですが、カルロスにはそういう出会いはなく、ただバディであるエリーが殺されてしまうという場面で終わっていましたし、どこからその孤独が来ているのか、ということは暗示されているとは言えよく分かりませんでした。

イーサンだけに焦点を当てて観ると感動するのかもしれませんが、イーサンにまた出会うまでの転生での出来事(犬生)が軽く扱われているようで、その軽重が少し気になってしまいました。