映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

知らされなかった訃報

 初めての子どもたちとの面会時に娘が、以前一人でお泊まりした僕の実家にまたお泊まりしたい、と言っていたので、元配偶者に伝えたところ、この夏に2回僕の実家に娘がお泊まりすることになりました。

 元配偶者が娘に確認したところ、娘の希望としては僕の実家に泊まるということが一番の希望ではなく、僕と一緒に過ごすということが第一希望ということででした。
 娘の希望に添うように仕事が入らないように調整し、当日は娘の習い事を4ヶ月ぶりに見に行き(3月迄は3年間僕が毎回送っていました)、お家まで送って習い事の道具を置き、娘のお泊まりの荷物を持って実家に向かい、一緒にお泊まりしました。

 娘のお迎えと実家へ向かう中で、娘がずーっとおしゃべりをしていたのですが、そのときに衝撃的な話を聞きました。
 それは、娘の「ひいおばあちゃん」、つまり元配偶者のおばあさまが亡くなった、という話です。
 

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 娘が生まれた時には、ひいおばあちゃんは2人いて、僕の祖母と元配偶者の祖母で、最初僕は僕の祖母が亡くなった話をしているのかと思ったのですが、よく聞いていると元配偶者のおばあさまの話でした。

 いきなり納骨の話を娘から聞きびっくりしたので、いろいろ娘に聞いてみると、6月くらいにひいおばあちゃんは亡くなり、この娘との話をしていた日のちょっと前に納骨があったということが分かりました。
 娘は7歳になったばかり、小学一年生なので、それ以上の詳細はよく分からなかったのですが、とにかく、何回もお会いし、結婚した当初僕が学生だったので「学生さんは大変だから」とお年玉をくれたり、特別養護老人ホームに入所するまで挨拶に行っていた新年には毎回、僕が好きだと言っていたからとお寿司の出前を取ってくださっていました。

 あとから面会した長男と次男に詳しく聞いたところ、おばあさまが亡くなったのは6月6日で、納骨に長男が来なかったと娘が言っていたのは、長男が小学校の臨海学校でいなかったからだということが分かりました。

 6月6日はまだ、元配偶者と僕との内縁関係(事実婚)解消の合意が成立していなかった時期です。
 もちろん、元配偶者が僕とは会いたくない、僕に葬儀に来て欲しくないという気持ちは分かります。

 けれど、「全く知らせない」、後日、子どもたちから漏れ伝わる、という元配偶者の対応には、おばあさまの死そのものと同じくらい衝撃的でした。

 会いたくない、ということであれば、「葬儀には来て欲しくないが、お知らせしておきます。」と前置きした上で伝えることは出来るでしょう。
 葬儀に来て欲しくない、お悔やみを伝えられたり、香典も渡されたくない、ということであれば、それを伝えれば良いと思いますが、「死」そのものを伝えない、ということは、僕にとっては「あり得ない」対応でした。

 おばあさまの死を知ったときには既に内縁関係解消の合意がされたあとだったので、やはり元配偶者と一緒に生きていくことは無理だったのだと確認された出来事ではありましたが、なんというか、本当に哀しい気持ちになる出来事でした。