映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

好きなことより嫌だと思うことを大切に

先日、こんなツイートを目にしました。
 

 
夫婦円満の秘訣は?と聞かれた際に考えたのが、

我々の場合 好きなことよりも「嫌いなことを共有する」からうまくいくのかも知れない

 

という答えだったそうです。

この「好きなことよりも嫌いなことを共有する」ということ、本当にその通りだと思いました。
僕と元配偶者がうまくいかなかったのは、まさにこれ、つまり僕が「イヤだ」と言っていることを元配偶者が無視し続け、軽んじたということがあります。

具体的には、結婚当初から僕が元配偶者の姓を変えたことになるのですが、僕が結婚してからの12年間で何度「元の姓に戻したい」(今のままじゃイヤだ)と訴えても元配偶者は受け入れず、受け入れないどころか、「なんなら自分が姓を変えても良かった」とか「姓を変えることは○○(僕)が受け入れたこと」と僕を軽んじる発言を繰り返してきました。

姓を変えるという大きなことでなくても、例えば誰かと一緒に生活することになったとき、「おしっこが飛び散るから座ってして欲しい」とか主に女性が男性に求めることがあると思います。
それも1つの「イヤなこと」です。
この「イヤだ」と言っていることに対し、「分かった。今度から座ってするね」と応えるか、「今まで立ったままやってたから座るなんて」と応えるか。

「小さなこと」と考えるかも知れませんが、自分が「イヤだ」と言ったにも関わらず相手が無視し続けるとどうなるかというと、イヤなことにさらされ続けるので、ずっと自分が傷つく訳です。
自分がずっと傷つけられるとどうなるか。
自分は傷つけられても良いようなどうでも良い存在だと自分のことを否定するようになるか、あるいは相手も自分を傷つけているのだから相手を傷つけようとするか、その両方をするようになります。

だから、誰かと親密な関係になるとき、最初は共通点、つまり「好きなこと」が一緒だと親しみを感じて親密になるかと思いますが、一緒に暮らす、一緒に生きていくということを考えるときには「好きなこと」よりも「嫌いなこと」「イヤなこと」を共有できるかが一番重要なのだと思います。

結婚してから、褒めたり感謝することが大切です、というようなことも聞きますが、僕は自分が作った料理を「おいしい」と言われた場合、「おいしいと言ってくれたから、また作ってあげよう」とは思っても、自分が褒められた気分には特になりませんでした。
それよりも、「結局乾かないから洗ったばかりの食器を重ねないで欲しい」というような僕からの「イヤだ」というメッセージをちゃんと受け取って欲しかったです。

相手を変えることは出来ないので、元配偶者と結婚する際に最初にちゃんとこの点を見極めていれば良かったと思いますが、その過去はどうすることも出来ないので、もし、これから誰かと一緒に暮らすことになったら、自分は相手からの「イヤだ」というメッセージをちゃんと受け止めていこうと思いました。