映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

村田沙耶香『授乳』

 ちょっとした時間を潰すために、本屋さんに寄りました。
 最近では本屋さんが近くになくなってきただけでなく、今は大きな書店があるような街からも離れてしまったので、本屋さんに寄るのはとても貴重な機会になってしまいました。
 そこで、手に取った本です。
 作者は、『コンビニ人間』で芥川賞を受賞した村田沙耶香
 話題になっている作家の小説はあまり読むことはないのですが、文庫でしたし、『コンビニ人間』が気になっていたので、とりあえず同じ作家の作品ということで読んでみました。
 


授乳 (講談社文庫) Kindle版

 

内容紹介講談社作品紹介ページより)
いままでにない、小説、そして作家。戦慄のデビュー作。
「母が同い年のクラスメイトだったら、きっといじめてるな」
受験を控えた私の元にやってきた家庭教師の「先生」。授業は週に2回。火曜に数学、金曜に英語。私を苛立たせる母と思春期の女の子を逆上させる要素を少しだけ持つ父。その家の中で私と先生は何かを共有し、この部屋だけの特別な空気を閉じ込めたはずだった。「――ねえ、ゲームしようよ」。表題作他2編。

勝手に五段階評価
★★★★☆

感想
 三作の短編が収められています。
 主人公は三作とも女性で、一作は中学生、他の二作は大学生です。
 一つ一つの作品というよりも、全体を貫いていると思ったテーマは、「女性性」というようなものなのだろうと思います。
 「女性性」というと、例えば中学生だったら、初潮を迎え、思春期になり、周囲でも恋愛関係が始まり、身体と心に「女性」というものが明確になってきて、それへの戸惑いとか、戸惑いつつも受け入れていく様子、とか、そういうものを想像するかも知れません。

 しかし、この三作を貫いているのは、「女性性」への「違和感」だと思います。
 男とのセックスを単に男の「自慰」としか考えられなかった大学生。
 けれど、初めて「自慰」ではなく、自分の身体が男の身体を求め、セックスしたあと、激しい拒絶反応が起きます。
 誰かの自慰の対象にされているという、間接的に自分が女性であるということを受け入れられても、その自分が女性として男を求める、という主体性を持ったときに、激しい拒絶が起きる。

 自分が今まで間接的には受け止められてきたということは、直接向き合おうとしなかったと言うことであり、それはつまり、自分の世界に閉じこもっていたということ。
 閉じこもっていた世界から、初めて他の世界に目を向けたときに、今まで描いてきた世界とは何もかも違っていて、嫌悪さえ感じる。

 成長(といって良いのか分かりませんが)ということと共に、例えば身体は男性だけど心は女性といったような性的違和ということではなく、自分の中に確かにある性的な部分、「男性性」や「女性性」といったものへの違和感を丁寧に描いているように感じました。
 僕自身は男なので、女性になりたいとか、ホントは女性なんだとかいうことではなく、自分の中にある「男性性」というものに違和感というか嫌悪を感じることがあって、それによってどうしようもなく絶望的な気分になったりすることがあるのですが、男性を主人公として、この自身の性への違和感や嫌悪感というものを扱った作品を読んでみたいと思いました。