映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

マーサ・スタウト『良心をもたない人たち』

 毒親やパートナーシップについて書いている、あるコラムニスト(アルテイシアさん)の文章がいつも共感できるものなので、ウェブ上にあるものを見つけてはよく読んでいます。
 そのコラムニストの方が恋愛などの相談にのるというか悩みを聞くというものがあるのですが、その中で取り上げられていたのがこの本です。 
 どういう話の流れで出てきたのかというと、バリキャリ高学歴美女なのに、出会う男がクズばかりで、結婚でもひどい目に遭い(数年かけて裁判で離婚済み)、元夫や過去に付き合ってきた男たちの話を聞いて、「世の中にはこんな人もいるみたいだよ?」ということで触れられていました。


良心をもたない人たち Kindle版

 
 出版元の草思社のホームページでは、大まかな内容をウェブ上で立ち読みするように読めるようになっています。

『良心をもたない人たち』立ち読みコーナー | 書籍案内 | 草思社

 この立ち読みコーナーでもこの本に書かれている内容をある程度把握出来るようになっています。
 ちなみに類似書としては、ベストセラーにもなっている中野信子サイコパス』がありますが、僕はそちらは読んでいません。

 原題は「The sociopath next door」で、「隣のソシオパス」と言ったところでしょうか。
 訳者あとがきでも触れられていますが、「サイコパス」「ソシオパス」あるいは、「反社会性人格障害」と呼ばれているものの区別は明確ではなく、また、日本でも精神疾患の判定基準にされているアメリカ精神医学会が発行しているDSM(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders=精神障害の診断と統計マニュアル)では、不明瞭な領域であることなどから「サイコパス」「ソシオパス」の名称などは削除されています。

 まずは、この前提、つまり精神医学界において、「サイコパス」「ソシオパス」という「病気」や「障害」を認めていないということを踏まえた上で読む必要があると思います。
 (そもそもDSMについては様々な場面で「絶対的に正しい」という認識や、それを前提に話が進むことがあるので、「本当に絶対的に正しいのか」と疑いつつ考えるといういことも必要です。)
 この本を読む時には、この前提、つまりDSMでもその名称が削除されているということを頭の隅に置いておく必要があります。

 さて、本の内容としては、「良心をもたない人たち」がこの世界には一定数いることが書かれています。
 たとえば、著者の出身であり、活動の拠点であるアメリカでは、25人に1人、約4%が良心をもたない人たちだと書かれています。
 そして、彼らの特徴を著者が出会った人たちを例にして説明していきます。
 具体的には以下のものです。

 

一、社会的規範に順応できない
二、人をだます、操作する
三、衝動的である、計画性がない
四、カッとしやすい、攻撃的である
五、自分や他人の身の安全をまったく考えない
六、一貫した無責任さ
七、ほかの人を傷つけたり虐待したり、ものを盗んだりしたあとで、良心の呵責を感じない(16頁)


 これらの特徴の内、3つが当てはまれば「良心をもたない人たち」である、と書かれています。
 確かに、そういう人もいると思いますし、そういう「良心をもたない人たち」がこの世の中にはいて、そういう人と関わると疲弊するだけだから、なるべく関わらないようにすべきだというアドバイスは必要だと思います。
 そもそも、自分と同じように相手も考えるはずだ、自分と同じような感覚を相手も感じるはずだ、と多くの人が無意識に捉えている中で、自分とは全く考えも感覚も違い、自分の想像を遙かに超えている人がいるのだ、そしてそれらの人の中には彼らなりの理由から平気で嘘をついたり、傷つけてきたりするので、避けるべきだと警鐘を鳴らす必要もあるでしょう。
 それ自体はとても参考になるものでした。

 けれど、最初に触れたように、そもそも「サイコパス」「ソシオパス」「反社会性人格障害」が不明確な領域であり、「反社会性人格障害」という「障害名」を取ってみても、誰かを「あいつはサイコパスだ」というように判断してしまうこと自体がとても危険な考えなのではないか、と思います。

 なぜそのように考えるのかというと、そもそもアメリカに約4%いる、という根拠が示されていないことや、たとえば以下の「良心」の説明など、曖昧な表現が気になるからです。

良心はべつの生き物(かならずしも人聞とはかぎらない)ないし人間の集団、あるいは人類全体への感情的な愛着から生まれる義務感である。良心はだれか(あるいはなにか)との感情的な愛着なしには存在しない。つまり良心は、いわゆる"愛"と呼ばれる一連の感情と密接にかかわっているのだ。(42頁)

 

 「愛着」や「愛」という言葉が出てきていますが、そもそもその「愛着」や「愛」について説明がされていません。
 これはこの文章での箇所ですが、例えば後半の文章では、「幸せ」というものも曖昧なままに「良心をもたない人たち」は「幸せ」にはなれない、と書かれています。
 「良心をもたない」からこそ、彼らは社会的地位が高くなることや、経済的に裕福な情況になることがあり、それを求めている彼らにとって、それは「幸せ」でしょうし、そもそも他者が誰かの「幸せ」を決めることは出来ません。
 嘘をつかず、経済的にも恵まれ、パートナーなど家族もいて、健康で趣味も仕事も満たされていたとしても、「幸せ」を感じられない人もいると思います。

 それにも関わらず、著者の考える「幸せ」があり、それに「良心をもたない人たち」の人生が当てはまらないから、「幸せ」にはなれない、と決めつけているように感じました。

 批判的なことばかり書きましたが、「良心」に関するもので興味深かったのは、スタンレー・ミルグラムの実験結果などから、戦地で人を殺すという行為について、良心に反してもなぜしてしまうのかが触れられた箇所です。
 スタンレー・ミルグラムの実験自体は知っていましたが(参照:ミルグラム実験 - Wikipedia)、戦地での兵士の行動に活用というか、実証されているということはとても興味深いものでした。

 

たとえば、軍部の専門家はすでに知っているが、兵士たちに確実に敵を殺させるためには、権威者が部隊に同行して命令をくだす必要がある。さもないと、戦場の兵士たちは殺せという上官の命令にたいして「ずる」をし、わざと的をはずしたり、発砲しそこなったりして、良心が命じる最も強い禁止事項を守ろうとする。(93-94頁)

 

 権威に服従してしまうという、人間の性質を表したものですが、戦争というような情況でなくても、身近なところで権威に服従してしまいやすいということは心に留めておきたいと思いました。