映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

「マドモアゼル」

 今回観た映画も先日紹介した『妖精たちの森』と同様、町山智浩さんの『トラウマ映画館』で紹介されていて、本の表紙に使われている映画です。

 モノクロの映画は久しぶりだったのですが、最初慣れるまでは想像力が働かず、なんというか、夢の中にいるような感覚になりました。
 家にテレビはないので、ラジオやPodcastで声だけを聞いて想像することはやっているものの、「見る」ということに関しては、普段いかに即物的に過ごしているのかを認識させられました。

 


マドモアゼル [DVD]

 
作品データ映画.comより)
監督トニー・リチャードソン
原題 Summer Fires
製作年 1966年
製作国 イギリス・フランス合作
配給 UA
上映時間 100分

ストーリーAmazon作品紹介より)
 フランスの片田舎の村。「マドモアゼル」と村人から呼ばれる女教師は森を散歩して欲求不満を解消する毎日を送っていた。森にはイタリアからやってきた屈強な男たちがきこりとして働いていた。彼らを覗き見たマドモアゼルは、言いようのない肉体の疼きを感じるのだった。村で不審火が続けて起きる。きこりのマヌーは身を挺して救出に当たるが、村人たちはよそ者の彼を犯人扱いする。犯人はマドモアゼルであった。偶然、火事を起こしてしまったことから快感を覚え次々と犯罪的な行為を犯す彼女は、水門を開けて村を水浸しにし、家畜用の水場に毒をまき大騒ぎを起こす。家畜が次々と死んだ頃、マドモアゼルは森の中でマヌーを関係を結んでいた。しかし、明日村を出て行くというマヌーに怒りを覚えた彼女は、彼に強姦されたフリをする。村人はマヌーをリンチにし、マドモアゼルはパリへ去っていく。マヌーの息子ブルーノはマドモアゼルに向って唾を吐きかける。

勝手に五段階評価(基本的に甘いです)
★★★★☆

感想
 映画のストーリーは上に書いた通りなのですが、冒頭のシーンは印象に残るものでした。
 水門の栓を抜き、牧草地帯をハイヒールで歩く女性。
 大量に流された水によって溺れる家畜たち。
 その中で懸命に救助活動をする男たち。
 それを見つめる女性。

 最初は何が起きているのか把握出来なかったのですが、その後、その女性は家畜小屋に火を付けては、消火活動や救助活動をする男たち、その中でも1人の男に視線を送っていることが分かってきました。
 彼女が見つめていたのは、イタリア人のマヌー。

 村の女性たちは彼の虜になり、人妻でも夢中になり話しかけては浮き足立つ。
 女性たちが虜になっていること、さらにイタリアからやってきたということで、村の男たちはマヌーを嫌悪し、一連の犯行の犯人ではないか、と疑い出す。

 また、マドモアゼルと呼ばれている教師は、パリからやってきたこと、いわゆる「適齢期」を逃していることでストレスを感じていること、マヌーの息子ブルーノをいじめていることが分かります。
 本当はこんなところにいる人間じゃないのよ!、とか私だって結婚したかった(したい)、とかそういう描写は描かれないので、そういうのがストレスなんだろうなということは単に想像するしかありません。

 この物語はもちろん男女間の恋愛模様として見ることが出来るのですが、僕がもっと恐ろしかったのはマジョリティによる、マイノリティへの偏見と排斥です。
 村の人々はマヌーがイタリア人だということで警戒し、不信感をあわらにし、何の証拠もないのに、家宅捜索をしても証拠が出ないのに執拗に彼を犯人だと疑う。
 そして、最後には一方的な思い込みで彼を殺してしまう。

 時代や地域を問わず繰り返されてきた、今も強固に繰り返されている光景なのですが、水害や火事で活躍し、様々な女性たちに誘われても、亡き妻を思い断り続ける、何の罪も犯していないマヌーが、「イタリア人だから」という理由で殺されてしまうのです。
 この「イタリア人」という部分を入れ替えた出来事が無数に起きてきたし、起きていて、それでも人間は繰り返すという現実を改めて突きつけられました。

 そして何よりも印象に残ったのは、マイノリティを排斥したマジョリティは全く罪に問われないということです。
 マイノリティ排斥にどの程度加わったのか、直接暴力を振るったのか、見て見ぬふりをしたのか、誤解を解かなかったのか、様々な関与の仕方はあれど、マジョリティは全く罪に問われません。
 これも今もまさに起きていることです。

 モノクロ映画、自分が生まれる前の52年も前の映画ですが、ここで描かれていることは、男女の関係を含めて、今も繰り返されていて、全く古びていませんでした。

 最後に、マドモアゼルを演じるジャンヌ・モロー の演技が圧巻でした。
 冒頭の水門の栓を抜き、放火を繰り返し、ブルーノをいじめる時のマドモアゼルの様子が、マヌーと一晩中絡み合うシーンでは少女のような雰囲気や表情になり、撮影当時30代後半だったと思うのですが、マヌーと絡み合う時は本当に少女のように見えました。