映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

立場や環境が人に与える影響

 いきなりですが、AとBという2人について、成育歴というか経歴というか家族環境を載せてみます。
 この2人から何か読み取れるでしょうか。

A
・1970年半ば生まれ
・都内中高私立一貫校出身
・都内国立大学、私立大学院卒
・毎日「先生」と呼ばれる仕事
・年収は40歳で1千万円ほど
・父親は東大医学部卒、国立大学教員を定年退職、現在救急二次指定病院院長
・母親は私立大学卒、専業主婦
・実家は山手線沿線、他に家が2軒(山手線内と他県)

 


・1980年代半ば生まれ
・大学系列の東京近県私立高校出身
・都内私立大学、同大学院卒
・22歳で結婚し、パート
・両親とも同じ私立大学卒、父親は中小企業を定年退職
・母親は専業主婦、現在年金生活
・実家は私鉄沿線(東京近県)のマンション


 上にあげたAとB、元妻と僕のことです。
 このAとBが夫婦だと伝えれば、たぶんAが男性でBが女性だと想像するのではないかと思います。

 けれど、僕がなぜ成育歴というか経歴というか家庭環境の外面を書いたのかというと、ジェンダーバイアスを可視化しようとかではなく、僕と元妻の違いや溝がどこで生まれたのかを探ろうと思ったからです。
 書いてみれば何かわかるかな、と思って書いてみたのですが、何もかも違うな、と改めて思いました。

 お金に困る生活をしたことがなく、父親の東大をはじめ、親戚にも国立大学を出ている人たちが複数いるので、それが当たり前だと思っている。
 当たり前だと思うこと自体は良いのですが、当たり前だと思うのは個々の能力が受け継がれていくとかではなく、東大卒→高収入→子どもに教育費と時間をかけられる→子どもも高学歴になる→高収入→子どもに教育費を…という連鎖があるからです。

 この高収入と学歴、教育に関する連鎖に対して、自分自身が得られた環境や立場というものが、自分の能力ではなく、環境によって与えられたものであるという自覚があれば良いのですが、元妻は無自覚でした。

 自分はお金に困る生活をしたことがなく、今も父親は年収数千万円を稼ぎ、いざとなれば金銭的援助をしてもらえるような関係を保っている。
 それが「当たり前」「普通」だと思っているから、「親に金を借りろ」とか平気で言うことが出来るし、何度親と僕との関係に介入しないでほしいと伝えてもやめることはありませんでした。

 今こうして書いてみてわかるのは、結婚当初周りから指摘された年齢はどうでもよくて、その他の環境や立場が違いすぎたのが大きな溝を作り出したのかな、ということです。
 年齢は平等に重ねていくし、一方が早めに訪れても、いずれ片方も同じ年齢になります。

 けれど環境や立場は同じになることはないし、変わることもある。
 (主に育った家庭の経済的な)環境によって学力が大きく変わる、ということを知っていたにも関わらず、学力だけでなく、考え方などにも大きな影響があるということまで考えたことがありませんでした。
 立場によって人は大きく変わるとは言われますが(実際、元妻に対して当初良いなと思っていたところは悉く「先生」と呼ばれる仕事をしていく中で失われました。威圧的、高圧的、断定的、独断的…)、環境も同じことなので、成育歴などによって人の考え方なども大きく変わるのでしょう。

 将来の仕事上での立場や環境がどのように変化するのかはお互いわからないものの、せめて今までどのような環境で育ってきたのか、ということを一度紙にでも書いて見比べてみるべきだったな、と思います。

 ちなみに、結婚自体を義母は反対し、結婚するならもし離婚した時に元妻に「傷がつかないように」僕に姓を変えることを要求したので、結果的に義母の要求通りになりました(心よりお祝いを伝えたいです)。
 元妻は義母の願いや希望を第一優先に生きている人なので、義母の当初の願いが達成されたことで、それは元妻の願いがかなったことにもなり、2人にとっては、結婚当初からの希望がようやくかなえられた、ハッピーな出来事なのだと思います。