映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

早坂類『睡蓮』

 最近また聞くようになったPodcastで取り上げられていた小説を読んでみました。

第70回『発達障害の僕が「食える人」に変わった すごい仕事術』『睡蓮』: 本と雑談ラジオ


 内容に触れる前に、読んでみようと調べてみたら、紙のものとKindle版の値段がかなり違ったので、Kindle版にしたのですが、気になったのが、表示されていたページ数です。
 文庫版では138ページになっていたのですが、Kindle版での登録情報に載っていた「紙の本の長さ」では67ページと書かれていました。
 内容が約半分かも知れないというのは、どういうことなのか不安だったのですが、Kindle版が文庫版の3分の1程度だったので、結局Kindle版を読みました。
 文庫版を手に取って確認しないと内容が同じなのかは分かりませんが、とりあえず、表題の「睡蓮」という作品は読めました。


睡蓮 Kindle版

 
内容Amazonより)
生涯に一度だけ、彼女の視た完璧な花とは。彼女が抱いたひとつの希望とは…。「睡蓮」と名乗る彼女の生き様。「世間? 馬鹿馬鹿しい」「もしかしたら建設的と呼ぶ事も出来るかもしれない未来のために、この幸せからあえて自分を引き離す事に何の意味があるのだろうか? 現に今、この胸底に、素晴らしいものがあるのに」…海の波は明るく打ち寄せ、詩は命の泡の上に投げ出される。この素晴らしき世界。

勝手に五段階評価
★★★★★

感想
 読み終わったあとに、さらに文庫版とKindle版との違いは何なのか調べてみたら、そもそもは作者の早坂類さんが主宰している創作発表の場で連載されていた作品のようです。

小説『睡蓮』第一回 | RANGAI

 さて、内容ですが、職もなく、家も失うことになった女性が睡蓮と名乗り、路上で生活を始める物語です。
 そこで出会った人たちとの出来事や、路上で生活する人たちに向けられる社会の視線、そして、社会から見えなく、見えないようにされているからこそ表れる美しさ、人とのふれあいが描かれています。
 Amazonでのレビューにも複数書かれていましたが、ラストがとても衝撃的でした。

 僕はもう離れてしまってからかなり経ってしまいましたが、一時期路上生活を送る人たちに関わらせてもらっていました。
 作品の中に出てくる解体業の若者のように、食事を作って配ったり、食事はもちろん、着るものや毛布が足りているか、雨で濡れていないか、病気にかかっていないかなど夜廻りもしていました。
 その何年かの実体験からすると、こういう関係が築けるものなのか、と思うものもありましたが、それは支援団体というか関わる人たちの方針やキャラクターによって大きく変わるのかな、と思います。

 元配偶者から追い出された家の近くには、睡蓮を育てている家庭がありました。
 駅に向かうときに自転車で通る道にその家はあって、軒先に睡蓮を育てるための大きなバケツというか水槽が並んでいました。
 開花してもあっという間に終わってしまうのですが、その花の大きさ、見事さに、花が咲かない時期でもその道を通るたびにとても楽しみにしていました。
 こういう、普段はそこまで重要だと思っていなかった、ささやかな楽しみが突然なくなってしまったことの哀しみを感じています。

 この作品でも、それまではそこまで気に留めていなかったけれど、失われて初めて分かる美しさや大切さというものが描かれていました。
 また、なぜ睡蓮だったのか、と考えてみると、その美しさやはかなさもあると思うのですが、育てる場が泥と言うところにもあるのかな、と思います。
 いろいろなものが堆積し、ある程度乾燥している土ではなく、泥。
 そこはちょっとかき回すと濁ってしまう。
 けれど、その濁りがあるからこそきれいに育つ。
 うまく表現できませんが、そういうものを込めた睡蓮というものだったのかな、と思います。