一人の若者の死
週明け仕事場に行くと、その日の仕事のスケジュールを変更して欲しいと頼まれました。
こういうことはよくあることで、仕事が終わる時間が変わったりしなければ、僕としても全く問題はないので断る理由もなく受け入れています。
その日の仕事のスケジュールがどのように変わったのかという紙を渡されたのですが、そこにはこう書かれていました。
卒業生の告別式に行くため
ここで働き始めて8年にもなるので、僕も教えたことがある卒業生かも知れない、と思っていると、朝礼でも他の方がこの件について触れられていました。
でも、詳細が分からず、誰のことかも分からなかったので、主任に聞いてみたところ、3月に卒業したばかりで、しかも、僕の仕事部屋によく来ていた生徒だということがわかりました。
主任は担任もしたことがあり、部活でも関わっていて、つい三週間前にも会って食事をしたということで、その名前を出すこと自体、とても辛い感じでした。
「事故ですか?」と聞くと、そっと「自殺」だと答えてくれました。
それ以上のこと、いつ亡くなったのか、どうやって自死をしたのかなどは聞けず、僕はただその場から立ち上がることが出来ませんでした。
なぜあの生徒が、ということよりも、なぜ僕は止められなかったのか。
毎年新学期になると必ず僕は、辛かったら学校を来なくて良い、休んで欲しい、辛い場所から逃げることはとても大切なことだ、そして、誰かに相談して欲しい、と伝えてきました。
自分の言葉だけでは足りないので、西原理恵子さんの『生きのびる魔法』を紹介し、読んできました。
新学期だけでなく、若者の自死が増える2学期はじめにも同じようなことを話してきました。
だからこそ、自分の仕事部屋には自分がいるときなら誰がいつ来ても良いようにしていたし、実際にその生徒も、昼休みにノックもせずに入ってきて「昼飯食わしてください」と言ってお弁当を食べたりしていました。
その死の知らせを受け、卒業生たちの文集を改めて読み返してみました。
そこには、確かに危うい内容が書かれていました。
他の生徒たちは大体感謝の言葉や大きく影響されたものやここで過ごした中での変化について書いている中、最後までこの場になじむことが出来なかった、ということがつらつらと書かれていました。
仕事部屋に来た彼に僕は積極的に話しかけるべきだったのだろうか。
何かうまく悩みを聞き出したりして、支えることが出来たのではないか。
毎日会うわけでもなく、特に卒業する年は、年明けからほとんど来ることがなくなるので、この自死までに僕は今年1、2度しか会っていないので、実際には何も出来なかっただろうこと、もっと関わっていたとしても変わらなかったのかもしれない、と思いつつも、どうしたら良かったのだろうかと考え続けています。
特に、僕が今この仕事をしている一番の理由は、辛い思いをしていて、自死にまで追い込まれることがないようにしたい、ということです。
でも、一番近くにいた、一番気にかけて、気にかけるべきだった生徒を死なせてしまった。
何の力にもなれなかったという事実にただただ、どうしたら良かったのか、どうしたら良いのかをぐるぐると考え続けています。