映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

言葉の呪い

 誰かに言われた忘れられない言葉はありますか?
 僕はあります。
 しかも、誰かに言われた言葉で忘れられないのは、すべてネガティブな、否定的なものです。
 誰かに褒められた、とか、嬉しい気持ちになった、とかそういう言葉は思い出そうとしても思い出せませんが、ネガティブな言葉は思い出そうとしなくても、思い出されてしまいます。

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 誰かかから言われたネガティブな言葉よりも、自分自身で言ってしまったこと、やってしまったことの方が自分の中でそれが突然思い出されるフラッシュバックの回数は圧倒的に多いので、日常的には「あのときなんであんなことをしてしまったんだろう」「なんであんなことを言ってしまったんだろう」という、絶対に変えられないと分かっているにも関わらず考えずにはいられない、ということに苦しんでいるのですが、誰かからかけられたネガティブな言葉、というのは、違う苦しみがあると思っています。

 自分自身が過去にやってしまったことに関しては、望んでいないフラッシュバックなので、それはそれで辛いのですが、今後二度とそういうことをしないようにしよう、と思うことが出来ます。
 けれど、誰かから言われたネガティブな言葉というのは、自分自身ではどうすることも出来ません。

 その中でも、自分自身の行動や考えまで縛り付けてしまう「呪い」のような言葉があるような気がします。
 それは、教室でもたまに見かける光景でもあるのですが、誰かのことを「病気」だと言ったり、「しょうがい」だと言ったりすることです。

 僕は、かつてその言葉を言われたことがあります。
 誰に言われたかというと、元配偶者で、元配偶者は僕に対して「発達障害」だと言ったことがあります。
 自分自身では確かに、少しASD傾向があるとは思うのですが、他人から「発達障害っぽい」とか言われることによって、自分自身で逆に、自分は「発達障害なのかもしれない」と思うようになってしまいました。
 そういえば、こういう行動を取るのはもしかしたら発達障害の症状なのかも知れない、とか、今までは自分で気にしていなかったことが、自分の行動は「発達障害」という「障がい」なのではないか、と考えるようになってしまったのです。

 今になって振り返ると、性のあり方と同じように、「発達しょうがい」にも様々なグラデーションがあって、日常生活が困難なレベルから、定型発達と言われている人の中にも「発達しょうがい」的特徴を持っていたり、ある条件下ではその特徴が現れるという人、ADHD傾向が強い人、ADS傾向が強い人と多様だということが分かります。
 本人が困っていたり、求めていないにも関わらず、専門家でもない人が突然、「あなたは癌ですね」とか言うことが出来ないし、そんなことを言ったらおかしいと分かるはずなのに、なぜかそれを平気で他人に言う人たちがいます。

 元配偶者は教員をしていて、僕なんかよりも多くの生徒に接してきた経験があるので、そういう傾向がある、ということが分かるのかも知れません。
 けれど、本人が求めていたり、困っていないにも関わらず、「あなたは発達障害なのかもしれない」というのは、絶対にやってはいけないことだと思います。

 教室にいると、特に中学生くらいだと、「ゲイ」だとか、「ホモ」だとか、「アスペ(ASDアスペルガー症候群)」という言葉が聞こえることがあります。
 僕が中学生くらいのときには「しんしょう」とかそういう言葉も出てきていました。
 自分が生徒だったときからそうですが、これは絶対に他の人に言ってはいけない言葉だと言われてきましたし、僕自身も生徒たちにそう伝えてきました。

 それはなぜかと言えば、そもそもある特徴をもった人たちを蔑み、バカにしているからだということが一番の理由だと考えてきました。
 もちろん専門家でもない人間が勝手に判断すること自体がおかしいのですが(「発達障害」の診断も医師によって判断のばらつきがあるので、そもそももの凄く慎重に行わなければならない)、今はそれ以外に思うのは、言われた人にとっては、その言葉によって、自分は本当にゲイなのかも知れない、アスペルガーなのかも知れないと、それまで全く困っていなかったし、誰にも判断してもらおうと願っていなかったにも関わらず、突然言われたその言葉によって、自分自身の考えや行動が規定されてしまうということが起きることも大きな理由だと考えています。

 元配偶者も「悪気はなかった」のでしょう。
 ある種の「親切心」だったのかも知れません。
 けれど、どんなに親しい間柄であっても言ってはいけないことがある。
 僕自身も言ってはいけなかった言葉を言ってしまった経験がありますが、自分自身の経験で言えば、自分の行動や考えに影響を及ぼしてしまっているのは、この「障がい」や「病気」というようなことを言われたことです。

 「発達障害」だけでなく、かつて右足の付け根に腫瘍が出来て、少しずつ膨らみ、不安だけれど、病院に行って、それが悪性だと分かったりしたら恐いので、放っておいたことがあります。
 けれど不安なので、「これ(腫瘍)なんなんだろう」と言ったら、「骨肉腫じゃない?」と言われたこともあります。
 骨肉腫というのは、運が良くても患部の全摘、部位によっては人工の骨や関節にしたり、最悪死に至る病気です。
 それを言われたときはさすがに「死ねと言うことか?」と怒りましたが、軽はずみに相手のことを「病気」だとか「障がい」だとか言うことの、言う方は「軽い気持ち」なのでしょうが、言われた側のショックというのは計り知ることが出来ません。

 今後も誰かにそういった言葉をかけることのないように過ごしていきたいと思います。