映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

木皿泉『二度寝で番茶』

 先日Instagramをなんとなしに流し見ていたら、友人が読んだ本をあげていました。
 友人があげていたのは木皿泉さんの『お布団はタイムマシーン』だったのですが、僕は木皿さんの書いたものは『昨夜のカレー、明日のパン』しか読んだことがなかったので、読んでみようと思いました。
 そこで、友人があげていたものではないのですが、書店で見つけたこの本を読んでみることにしました。

 


二度寝で番茶 (双葉文庫) Kindle版

 

株式会社双葉社 | 二度寝で番茶

内容双葉社作品紹介ページより)
向田邦子賞を受賞した「すいか」をはじめ、「野ブタ。をプロデュース」「Q10」などの伝説的ドラマを生みだした夫婦脚本家・木皿泉。二人が家族、愛、自由、幸せ、孤独、個性、笑い、お金、創作、生きること死ぬこと…などについて縦横無尽に語りあう。思わず胸を衝かれる言葉が随所にちりばめられた、珠玉のエッセイ集。

感想
 上の内容にも書いてありますが、木皿泉さんは夫婦脚本家で、この本ではそのお二人―大福さんとかっぱさん―による対談形式の随筆になっています。
 単行本として出版されたのが2010年、連載自体はもっと前のものなので、その頃の世相を反映した内容が含まれています。
 例えば、柳沢元厚生労働大臣による「女性は産む機械」発言だとか。

 それらの世相を反映した内容も良かったのですが、大福さんが脳出血による後遺症で介護が必要な状態にあるということ、かっぱさんもうつ病を患っているということで、介護される身としての「負い目」だとか、うつの症状なのかは分かりませんが、どうしようもない自分というものに向き合っている様子だとかが僕にとってはとても心に残りました。
 ほんのちょっとの言葉でも人間に対する視点というか、観点というものが見えてくるよに感じました。
 例えば、かっぱさんがある時期パチンコで生活していたときのことを振り返っている中で、こんな言葉が出てきました(括弧内は僕の加筆です)。

(パチンコを)やめていく人は、帰る家があるんでしょう。あるいは、やるべきことがあったり。(92頁)

 
 毎日開店前に並んでいた人たちがパチンコをなぜやめたのか、やめることが出来たのかを分かっていて、だからこそ、ずっと続けている人は「帰る家」や「やるべきこと」がないということも分かっている。
 だからこそ、パチンコをやめられなかったりしている人のことを決して嫌がったり、非難したりすることがない。

 また、木皿泉として脚本家、あるいは、小説家やこの本のように随筆でも人気があるにも関わらず、こんなことも語っていました。
 

特別な自分なんて、絶対にないですよ。そんなの、幻想です。その人にしかできない仕事はたしかにあるけれど、それは普通の人が自分なりに工夫していって、時間をかけてたどりついたことで、そういう人は自分のことを特別だとは絶対に言わないはずです。(183頁)

 
 この感覚、結構大切だと思うのですが、それと同時に、このことを実感していれば実感しているほど生きるのが辛くなると思います。
 この場面では主に仕事について語っているものの、特別な自分などない、ということは、オリジナルな自分などない、ということなので、ふとすると自分がなぜここにいるのか、ということを見失うことにもなるのではないか、と思います。
 けれども、それを引き受けた上で、今を生きているという生きるということへの強さというか、ある意味で諦めているというか、そういうものがあるのかな、と感じました。

 他にすごく印象的だったのがかっぱさんに許せないことがあって、ジタバタしている様子についての話でした。
 そういう心がざわついている時などに、三十三間堂を訪れるそうなのですが、そこでふと見た女性について語っていました。

でね、庭を見たんですよ。小さいお地蔵さんがあって、その前で女の人がしゃがんで拝んでるんです。その時間が尋常な長さじゃない。十五分ぐらい、ずっと。こっちは何だろうって思うじゃないですか。あの女の人は多分、子供を亡くしてしまったんだろうなぁ、それを自分のせいだと思っていて許せずにいるんじゃないかなと想像したりして。そしたらね、全然関係ないのに、私が許さないとあの女の人も永遠に許されないような気がしたんですよ。何なんでしょうね、あの気持ちは。
(中略)
でね、さらに思ったわけです。許すことと許されることは同じことなんじゃないのかなって。つまり、自分が許さない限り、私は永遠に許されないんだと。
(中略)
いやいや、それが頭ではわかっても自分がダメなヤツだと認められなくて。その後、五日ぐらいジタバタしてしまいました。(289-290頁)


 この話は、三十三間堂での拝んでいる女の人を見かけたところから始まって、頭ではわかっても認められないというところまで全体が簡単に割り切れないというものをすごくうまく表している出来事だと感じました。

 頭では分かっているし、切り替えた方が良いことも分かっている。
 そして、そうしようと思うきっかけもあった。
 けれど、やっぱりうまく切り替えることが出来ない、ダメな自分というものを認められない自分がいる。

 ライフハックではないので、そんな時どうしたら良いのか、ということが書かれているわけではないのですが、何というか、自分と同じように苦しんでジタバタしている人がいて、そして生きているということが分かって、少しホッとするような感じがしました。