映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

離れて暮らすということ

 子どもたちと離れて暮らすようになって、半年以上が経ちました。
 自分からは子どもたちに連絡を取らず、今後も自分からは面会の打診をしないということを書きましたが、先日、訳あって子どもたちのキッズ携帯に電話をしました。
 電話をかけると、長男が出たのですが、要件を伝えた長男の反応に、僕はとてもショックを受けてしまいました。
 それは、長男が僕が要件を伝えると敬語で応えたことです。
 僕が用件を伝えると、長男はこう応えました。
 

「はい」「わかりました」


 僕は笑って、「何で敬語使ってんの?」と言ったのですが、それでも彼は「はい」と応えました。
 この出来事で僕は今までになく、とてもショックを受けてしまいました。

 

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 元配偶者が僕のことをどんなふうに子どもたちに伝えているのかは分かりません。
 悪人のように伝えているのか、自分勝手な人間だと伝えているのか、それとも僕と元配偶者との関係が壊れただけで子どもたちと僕とは全く関係が変わっていないと伝えているのか。

 この時までは、元配偶者が子どもたちに今回の、僕が突然家からいなくなったことを、どのように伝えているのかを僕は気にしていました。

 けれど、そんなことよりも、長男が僕に敬語を使ったというその事実が、この半年という時間の流れによって、僕を家族ではなく、他人として位置づけたことを理解しました。
 それまで12年間どんなに一緒に時間を過ごしていたとしても、「今目の前にいない」という事実の方が大きいのです。
 「今目の前にいない」人物は、子どもたちにとって家族ではなく、他人なのです。

 結局、子どもを引き離した方とすれば、この「時間の経過」ということが自分が養育するということにおいて最も有利な点になります。
 引き離された方としてみれば、今までどんなに子どもたちのケアをしていても関係がなく、引き離されて以降の時間が最も重視されるという現実を突きつけられることになります。

 元配偶者は調停が始まるまで僕が何度要求しようとも無視し続け、面会させて来なかったので、半年かけて元配偶者が願っていたようになったということなのでしょう。
 僕にとっては一番恐れていた、だからこそ何回も要求し続けた、最悪の、けれど、予想していた事態が来てしまいました。
 ここまで来てしまえば、僕に出来ることはもはやありません。

 成人、あるいは自立したときにはこういう機会は来るとは分かっていたものの、あまりにも早く突然にその時が訪れてしまいました。
 これでもう僕が出来ることは本当になくなったので、このあとまた電話をして、子どもたち3人に、「これからは多分会えないだろう」といういうことをそれぞれに伝えました。

 これが、僕と子どもたちとの最後の接触となりました。
 僕にとっては絶望的な出来事でしたが、元配偶者がずっと望んでいた事態でもあるので、きっと喜んでいることでしょう。
 姓に関することから始まり、最後まで元配偶者は自分の希望を通し続ける人でした。