映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

「 はじまりへの旅」

 観たいと思っていた映画が次々にAmazonプライムで観られるようになり、嬉しい日々が続いています。
 この映画は、日本では去年公開された作品で、子どもたちと「SING/シング」を観に行った際に予告編が流れていて、そのときから観たいな、と思っていた作品です。
 


はじまりへの旅(字幕版)

 

youtu.be

 

はじまりへの旅|2017年4月1日公開


作品データ
映画.comより)
監督 マット・ロス
原題 Captain Fantastic
製作年 2016年
製作国 アメリ
配給 松竹
上映時間 119分
映倫区分 PG12

ストーリー(公式サイトより抜粋)
 どこを見渡しても雄大な自然が広がるアメリカ北西部。自給自足のサバイバル生活を送る奇妙な一家がいた。父親ベン・キャッシュと6人の子供である。18歳の長男ボウドヴァン、15歳の双子キーラーとヴェスパー、12歳の次男レリアン、9歳の三女サージ、そして7歳の末っ子ナイは学校に通わず、先生代わりのベンの熱血指導のもと、古典文学や哲学を学んで6ヵ国語をマスター。おまけにアスリート並みに体を鍛え、ナイフ1本で生き残る術まで身につけていた。
ある日、“スティーブ”と名付けたバスに乗って山のふもとの雑貨店を訪れたベンは、数年前から病で入院していた妻レスリーが亡くなったという知らせに心を痛める。レスリーの父親ジャックと折り合いが悪く、「来れば警察を呼ぶ」と警告されているベンはためらうが、意気消沈した子供たちを不憫に思い、彼らの願いを受け入れる。目指すは2400キロ離れたニューメキシコ。一家が成し遂げるべきミッションは、仏教徒のママを教会から“救出”すること。

勝手に五段階評価(基本的に甘いです)
★★★★☆

感想
 作品の公式サイトには、「世界中を笑いと涙で包んだ感動作」とありますが、その表現はちょっと外れているような気がします。
 確かに笑えるシーンもありますし、(僕は泣きませんでしたが)泣けるようなシーンもないわけではありません。

 けれど、この映画は「笑える」ようなコメディでもないし、「感動作」でもなく、自分たちが信じるものと、「社会」とどう折り合いを付けながら生きていくか、という物語です。
 森深くでほとんど他の人間と関わることなく、自給自足の生活を送りながら、自然界でも生きていけるサバイバル技術と、人間社会でも生きていける語学や知識、そして批判的思考を身につける子どもたち。
 父親のベンと、母親のレスリーのもと、6人の家族が共に暮らしていたけれど、レスリー双極性障害躁うつ病)を患い、街で療養していたけれど、ある日自殺したという知らせを受ける。

 レスリーは遺言で自分は仏教徒なので火葬して欲しい、そして遺灰を公共の場で流して欲しいとベンに伝えていたけれど、レスリーの父親はキリスト教式に土葬をしようとする。
 レスリーの父親に来たら「逮捕させる」と言われ諦めようとするベンも、母親に会いたいという子どもたちに背中を押され、「お母さん救出作戦」を実行する。

 6人も子どもたちがいれば、しかも、ティーンエイジャーになれば、当然「父親だけが正しいわけでない」ということは分かってきますし、何よりもベンとレスリーが子どもたちに教育していたのは、まさにその「批判的思考」です。
 父親には沢山の知識があって、ある意味正しいのかも知れないけれど、自分にも考えがあるし、何よりもその父親の知識と考え方がお母さんを死に追いやったのではないか、と反発する。
 ベンはベンで妻レスリーをどうにか助けようとした結果でもあったのだけれど、中々それが伝わらない。

 この映画の良いところは、クリスマスの代わりにノーム・チョムスキーの誕生日を祝うとか、旅の途中に立ち寄ったベンの妹家族とのどうしてもずれる会話、例えばいとこたちがNIKEの話をすると、9歳のサージが「ナイキって、ギリシャの女神だよね?」と言うけれど、いとこたちはそれを知らないのでバカにしたような態度を取るけれど、実はいとこたちの方が物事を知らないということだとか、そういう随所にちりばめられた、ユーモアだけではないと思いました。

 僕がこの作品が良いなと思ったのは、ベンが子どもたちにあくまでも「対話」を求めていたこと、対等に扱おうとする態度でした。
 父親、年長者なのでどうしても権威的になる場面はあるものの、決して若いからという理由でごまかしたり、曖昧にすることなく、話し合おうとする姿勢が観られました。
 それは、キーラーが『ロリータ』の感想をベンに話していたのを聞いた末っ子のナイが「性暴力って何?」という質問にごまかすことなく答えていたり、母レスリーがなぜ死んだのかについてもごまかすことなく説明していたことなどに現れています。

 これらの場面で、ベンの妹夫婦のように顔をしかめたりする人も沢山いるかと思いますし、だからこそこれらが「笑い」として成り立っているのだと思いますが、ごまかす、ということは、相手を信用していない、対等な関係だと考えていないということです。
 僕は子どもたちであっても、1人の人間であるということを大切にしたい、ということからベンと似たような態度を取っていました。
 これが逆に、ベンの妹やレスリーの父親のような「社会の人々」には全く理解出来ないし、激しい反発さえ引き起こしてしまったのだろうと感じました。

 けれど、一定程度の折り合いを付けて、ハッピーなエンディングになっていたのが物語の展開として良かったです。
 それは、長男ボウが「僕は本に書いてあること以外を知らない!」とベンに叫んだ内容への返答にもなっていたからです。