映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

希死念慮

 ここのところ度々触れていますが、心身の調子が悪いです。
 ここまで来たか、と思ったのは、また朝早く(3時とか)目が覚めてしまいその後眠れなくなることが増えてきたとともに、「死んでしまいたい」という希死念慮が出てきたことです。

 抗うつ薬を飲まなくて良くなるほど一時的に回復したものの、大きなストレスがかかる出来事があり、心身の調子が悪くなったので、そのことを医師に話したらまた抗うつ薬を処方されました
 また抗うつ薬を処方され安心していたのですが、それでも調子が良くならないどころか、抗うつ薬を飲んでいるにも関わらず希死念慮が出てきてしまいました。
 

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 夜中目が覚めてしまい、また寝ようと思ってもうまく眠れず、何時間か経つ中で、ムクムクと簡単に死ねる方法はないだろうか、次回処方される睡眠薬を全部飲んだら死ねるだろうか、どのタイミングで死ねば、あまり迷惑かけずに、死体が腐ったりすることなく発見されるだろうかということを考え始めました。
 抗うつ薬睡眠薬も飲んでいるのに、これは割と厳しい情況だな、と自分でも思います。
 けれど、今出来ることは特になくて、じっとこれが去るのを待つか、実行するかだけで、どうしたら良いのか、というところでいつもじっとしています。

 希死念慮が出てきた理由は自分ではなんとなく分かっていて、先日、たまたま子どもたちが所属するボーイスカウトの集団を見かけたからです。
 なぜこんな所に?と思う場所で、ボーイスカウトには僕が付き添っていたので、気付かれてしまうので、遠くからその集団がいなくなるのを待ちました。
 そして、最初慌てて遠ざかったので確認しなかった、子どもたちの姿があるか見てみたら、そこにはいませんでした。

 子どもたちと離れて暮らしている、突然その生活から切り離されたということがやはり大きな悲しみとなってのしかかっています。
 本を読んで一時の回復をもたらした対人関係療法水島広子『対人関係療法でなおす うつ病』)でも、自分の好き嫌いは抜きに、親やパートナー、親友といった「重要な他者」とどう向き合うかが焦点になっています。
 『対人関係でなおす』シリーズのレビューで指摘されていたことでもあるのですが、その「重要な他者」との対話を自分が何度も望んでも拒否され、その相手によって、子どもたちという複数の関係も突然切り離されてしまったような場合にどうしたら良いのかは本には書かれていませんでした。
 シンプルに考えれば、それ以外の「重要な他者」との関係を密にすることや、新たな「重要な他者」という関係を作るということになるのでしょうが、「それ以外」がおらず、新たな関係を築くという気力や体力がない場合にはどうしたら良いのでしょうか。