マイケル・ボーンスタイン、デビー・ボーンスタイン『4歳の僕はこうしてアウシュヴィッツから生還した』
いつも聞いているラジオ番組(荻上チキ Session-22)で話題の本として、アウシュヴィッツから生還したポーランド系ユダヤ人父娘が書いた本と、2人へのインタビューが紹介されていました。
本の内容の一部分をアシスタントの南部広美さんが朗読し、荻上チキさんが著者のボーンスタイン父娘にインタビューした内容が流れていました。
朗読された内容ももちろん興味を引かれたのですが、一番興味が引かれたのが、アウシュヴィッツからの生還者であるマイケル・ボーンスタイン氏が子どもたちに聞かれても詳しく話すことのなかった当時の出来事を70年経って、なぜ話そうと思ったのか、ということを語った内容でした。
それは、自身がアウシュヴィッツでソ連兵に撮られた写真が、「着るものもあり、食事も与えられていた」という、アウシュヴィッツでの虐殺や虐待の事実を逆に否定する材料として使われているのを目にしたというものでした。
それを見て、写真に写った本人がそのフェイクニュースを打ち消すために、実際に起きた出来事を語ろう、伝えようと決意したとのことでした。
語ることをとどめていたのは、当時4歳という年齢で記憶が曖昧だということもあったのですが、それを娘であるデビー・ボーンスタイン氏含め周囲の人たちが歴史資料に当たることによって、「実際起きたこと」を裏付けることによって、曖昧な記憶の輪郭をはっきりさせたということでした。
その自分の記憶だけを頼りにするのではなく、それを確認するために様々な資料に当たったという行為やその語り口を耳にして、読んでみようと思いました。
4歳の僕はこうしてアウシュヴィッツから生還した Kindle版
4歳の僕はこうしてアウシュヴィッツから生還した | NHK出版
内容(NHK出版紹介ページより)
母の勇気ある決断が奇跡を起こす!
1940年にドイツ占領下のポーランドに生まれたマイケルは、ゲットーや収容所暮らしを余儀なくされたのち、わずか4歳でアウシュヴィッツに送られた。
なぜ、子どもが次々に殺されていった収容所で、彼は6か月も生き延びられたのか?
悪や絶望がうずまく世界の中で、ひたむきに前を向いて生きたマイケル一族の姿が胸を打つとともに、家族の絆や、希望を失わずに生きることの大切さをあらためて教えてくれる良質なノンフィクション。
感想
この本はそもそも児童書として書かれたということで、難しいところはなく、読みやすい内容になっていました。
もちろん、ゾンダーコマンダーと呼ばれる遺体を処理する役割を担ったユダヤ人についての記述などはあるものの、虐殺の詳細については、4歳の少年の目、体験を通しているので書かれていません。
この本では、タイトルの通り「4歳の僕」がアウシュヴィッツに送られるまでどのような生活を送り、アウシュヴィッツに送られたあとにどのような生活を送り、そこからどうやって「生還した」のか、そして、それ以降どのように生きてきたのかということが書かれています。
内容が内容だけに簡単に「良かった」と言うことははばかれるものの、僕がこの本を通して、改めて気付かされたのは、「アウシュヴィッツ」での様子は例えば「シンドラーのリスト」のような映画だったり、歴史の教科書だったり、写真集で見たことがあるものの、アウシュヴィッツに送られるまでそこに送られた人たちがどのような生活を送っていたのか、生還した人たちはそれからどのような生活を送ったのか、ということをほとんど知らなかったし、知ろうともしてこなかった、ということです。
この本には、マイケルがどのような両親、きょうだい、祖父母、親戚の元に生まれ、どこでどのように生活をしてきたのか、アウシュヴィッツに送られるまでに既にドイツ軍の支配下にあったポーランドでどのような生活を送ってきたのか、そして、アウシュヴィッツから生還したあとに故郷に戻り、そこで何があったのか、さらに、今に至るまでどのように歩んできたのか、ということが書かれています。
アウシュヴィッツから生還して良かったね、ということで終わることはなく、生還したあとも生活、人生は続いていきます。
ドイツ軍が侵攻する前から彼らユダヤ人は差別されていたので、アウシュヴィッツから生還し戻った故郷でも厳しい状況に置かれます。
それらの、アウシュヴィッツ以後の生活、人生というものを自分自身はほとんど知らなかったし、関心も抱いてこなかったということを痛感させられました。
この、ある出来事だけに注目するのではなくて、それに続いている人々の生活や人生を知ること、知ろうとすることは、どんな歴史的な出来事を知ろうとするときにも欠かすことのできない、とても大切な視点を与えられたように思います。