映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

「Fleabag フリーバッグ」

 先日職場でお笑い芸人の話題になったのですが、中高生のときから疎かったその手の話題に、テレビがない生活を送っているので余計に疎くなってしまいました。
 それよりも驚いたのは、「テレビないしよく知らないんですよね」と言ったら、1人に「じゃあ、受信料払ってないの?」と聞かれ、「テレビ見られないし、払ってませんよ」と言ったら、「高いよね~」と自宅にテレビがあってNHKの番組も見ているのに払っていないというその方の話でした。
 僕も高いとは思うものの、見ていたら払いますし、もし見ているにも関わらず払っていなかったとしても、それを他人に話してしまえるという、倫理観のズレに驚きました。
 無賃乗車や無銭飲食していると言われたような気がしたのですが、どう反応するのが正解だったのでしょうか。
 
 ということで、テレビがないのでテレビドラマもほとんど見ないのですが、Amazonの作品リストを眺めていたら評価の高い作品としてあげられていたので、とりあえずウォッチリストに入れていたドラマ作品があります。
 映画は2時間で観られますが、ドラマだと長くなるので、ある程度自分の中で気合いを入れないと見る気が起きないのですが、新聞でも触れられていたので背中を押されて見てみました。

(ネットdeシネマ)毒気あっても気になるヒロイン 映画大好き!:朝日新聞デジタル

  


Fleabag フリーバッグ (字幕版)

 
作品データIMDbより)
脚本 フィービー・ウォーラー=ブリッジ
原題 Fleabag
放送年 2016年
制作国 イギリス

内容Amazon作品紹介ページより)
皮肉屋で性欲は強め、怒りに駆られ悲嘆に暮れる。「フリーバッグ」は、現代のロンドンを生きる1人の女性の心理を描き出す、抱腹絶倒かつ辛辣なドラマである。脚本・主演は劇作家でもあるフィービー・ウォーラー=ブリッジ。差し伸べられる救いの手をことごとく拒絶し、常に虚勢を張りながらも、癒しを求めるタブー知らずの女性フリーバッグを演じる。

勝手に五段階評価(基本的に甘いです)
★★★★★

感想
 この作品を見て初めて聞いた言葉なのですが、「Fleabag」というのは「不潔な動物や人」のことを指す言葉だそうで、主人公がFleabag=不潔な人として描かれています。
(オックスフォード現代英英辞典だと「a person who looks poor and does take care of their appearance」となっていました。
不潔というよりは、日本語だと「貧相」あるいは「みすぼらしい」といった感じでしょうか。)
 不潔と言っても、実のお姉さんからも直接触るのを嫌がられるということはあるのですが、彼氏が隣で寝ているのに(カモフラージュで)オバマ大統領の演説動画を見ながらマスターベーションしていたり、自分でやっているカフェで近所のお店で買ってきたレトルトを出したり、金目のものに困って継母の持ち物を物色するという、不潔というよりも、「だらしがない」といった方が的確なキャラクターになっています。

 バスの中でナンパされたと思ったら、その男は彼女のことを「ビッチでしょ?」とか言ってきたり、イケメンのセフレは彼女に対して一切愛情はなく、彼女とセックスするのはアナルに入れたいがためだったり、貧乳だからという理由。
 しかも、そのイケメンのセフレは彼女を通して、「今まで誰かを愛したことはなかったけれど、本当に愛している人が分かった」とか言ってくる始末。

 彼女もこのご時世にあって、スパスパとたばこを吸い、がぶがぶ酒を飲み、酔っ払ったあげく深夜に、今も正直に気持ちをぶつけることが出来ない父親の家に突然押しかける。
 そんな彼女のことを、継母はもちろんのこと(実母は死去)、父親も姉も正直面倒だと感じている。

 実際に身近に彼女のような人がいたら近づきたくないと思う人もいるのかもしれないし、新聞に書いてあったように「彼女の行動や言動に眉をひそめ」ることもあるのかも知れません。
 けれど、ラストでも描き出されているように、そんな「Fleabag」な人を悪者にして、利用する人々もいます。
 普段から煙たがられている人がいることで、自分がひどいことをしてもとがめられることがないという人が、実は結構いる、ということを突きつけていると思います。

 そして何よりも「Fleabag」な人は、自分から「Fleabag」になろうとしているわけではないという当たり前のこともわかります。
 本人は本人なりに考えたり、その状況で身を任せた結果、ひどい状況になっているわけで、自分から望んでなっているわけではなく、それでもひどい状況がやってきて、その結果、さらにまたひどいことを招いてしまう、ということです。
 どこかでその状況を断ち切りたいと思っていてもなかなかうまくいかず、周りからも見放されてしまう。
 この作品がひきつけるのは、単に主人公のような人が身近にいる、ということではなく、生きているとそんな状況になってしまうことがあるからこそ、多くの人が共感し関心を持たれているのではないかと思います。