映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

武田友紀『「気がつきすぎて疲れる」が驚くほどなくなる 「繊細さん」の本』

 HSP(High Sensitive Person)という言葉を聞いたことがありますか?
 僕が初めてこの言葉を聞いたのは、経済評論家の勝間和代さんがやっている無料のメールマガジンで、メールマガジンには勝間さんがどうやって料理をしているかや、どういう端末を持ち歩いているか、それらをどのように使いこなしているかなど、勝間さんの身近な関心事が書かれています。
 その中で、勝間さんは以前からADHD傾向があることなど書いていたのですが、HSPであるということにも触れていました(勝間和代 無料メルマガバックナンバー 6/13-6/19)。
 その文章の中で僕は初めてHSPのことを知り、そこに載っていた診断をやってみたところ、HSPに当てはまっていました。
 それ以来、発達障がいだけでなく、HSP関連の本も読むようになりました。(たとえば『内向的人間のすごい力』

 


「気がつきすぎて疲れる」が驚くほどなくなる  「繊細さん」の本 Kindle版

 
内容飛鳥新社紹介ページより)
ささいなことが気になって疲れる人へ――
自分もHSPである専門カウンセラーだからこそ教えられる「超・実践テクニック集」!
◎まわりに機嫌悪い人がいるだけで緊張する
◎相手が気を悪くすると思うと断れない
◎細かいところまで気づいてしまい、仕事に時間がかかる
◎疲れやすく、ストレスが体調に出やすい
⇒そんな「繊細さん」(HSP)たちから、「人間関係も仕事もラクになった!」と大評判
予約殺到の「HSP(とても敏感な人)専門カウンセラー」による初めての本です!

感想
 勝閒さん同様、僕も発達障がい傾向があるとは思いますが、発達障がいとHSPがどのように関連するのかは分かりません。
 この本の中では、HSPを「繊細さん」と呼び、繊細さんは、非・繊細さんよりも、繊毛が多く、いろんなことを感じ取ってしまうと、イラストとともに説明がされていました。
 いろんなことを感じ取りやすい、ということは、いろんなことが例えば視覚情報として入って来やすいということであり、そうすると、落ち着かずに1つのことに集中しづらいということになります。
 「視覚情報を限定させる」ことや、「落ち着かず、1つのことに集中しづらい」ということは発達障がい傾向を示すものでもありますが、この本は医学書でもないので、学術的にどのくらい担保されたものなのかも分かりません。

 けれど、とにかく、この世界にいる75億人の中の5分の1ほどの人はHSPであり、それによって生きづらさを感じている、そして著者自身もその1人であるという前提に立って書かれています。
 この本では、自分がHSPかも知れないという人に、確定的な診断を下すものではなく、あくまでも、HSPだと思われる人が感じている生きづらさを、生きづらいと感じることなく生きていくための具体的な対処方が書かれています。

 まず、最初に書かれているのは、繊細が故に生きづらさを感じているけれども、その繊細さによって「良いもの」も感じることが出来ていることです。
 

自分にとって「いいもの」を感じるのも「痛い・つらいもの」を感じるのも、同じ繊細な感覚です。

 
 例えば僕がホラー映画が苦手な理由は、映像から伝わる「痛み」を強く感じるからなのですが、その感じる「痛み」同様に、ちょっとした、たとえば今日の空はきれいだなと感じることも出来る繊細さがある、ということです。
 つらい面ばかり印象に残り、負の面ばかりで捉えていたものを、それがあるからこそ感じる良さについて、最初に触れられていたのは印象的でした。

感覚を麻痺させるということは、「嫌なものや痛いものは感じにくくなるけれど、同時に、生きていく上での喜びやときめきも感じづらくなってしまう」ことなのです。長いあいだ感覚を閉ざし続けると、「自分がどうしたいのかわからない」「楽しいって、どういう状態のことだっけ?」など、自分にとっての幸せがわからなくなってしまいます。一時的に対処しなければならないときも、感覚を閉ざすのではなく、ストレスのもとになるさまざまな刺激を「まずはモノで防ぐ」こと。そして、最終的には感覚を閉ざさずにすむよう、ストレスの大きな場所や相手とは距離をおくことが必要です。

 
 僕自身、ここに書かれているように「長いあいだ感覚を閉ざし続け」ていました。
 何が楽しいってことなのか、何が幸せなのか、いろんな感覚が麻痺しています。
 それは、辛く、イヤなことをどうにか対処する方法だったのですが、辛さや痛みを感じづらくなるものの、同時に、楽しかったり嬉しかったりすることも感じづらくさせていたのだと、理解出来ました。
 その麻痺してしまった感覚を取り戻す、あるいは感覚が麻痺しないようにするための方法として書かれていたコツもわかりやすかったです。

もうひとつのコツは、視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚という五感に分けて考えること。五感のうち「鋭い感覚」から重点的に対処すると効果的です。

 
 今まで、自分が感覚過敏かも知れないとは思っていたものの、五感を分けて考えることはありませんでした。
 確かに自分は味覚はそれほど過敏ではなく、それよりも視覚や嗅覚が鋭いように感じています。
 これからちょっと不快だなと思ったり、ストレスを感じた時には、五感のどの感覚で感じていることが原因なのかを考えてみようと思いました。

 他にも、今からあげる3つの言葉は、当然のことなのかも知れないけれど、忘れがちだったり、あるいは、当然なことなんだけど、重要だと思う言葉です。

人はそれぞれ価値観や考え方が異なる、と言いますが、繊細さんと非・繊細さんは、価値観や考え方の土台となる「感覚そのもの」が異なります。体の疲れにせよ、嬉しい、悲しいといった感情にせよ、感じる強度が全く違うのです。
繊細さんどうしなのか、繊細さん×非・繊細さんなのかにかかわらず、「言葉で伝えること」「話し合うこと」が大切なのです。 
それは「人は、自分のままで生きると元気だ」ということです。繊細さんにとって繊細さは、自分を構成する大切な一部分。繊細さを「いいものだ」と受け止めることは、自分を「いいものだ」と肯定することにつながります。

 
 感じる強度が違うのだから、僕が感じている感覚を相手に伝えないといけないし、伝える方法は「言葉」でなければなりません。
 態度や行動ではなく、「言葉」。
 直接話すのが大変だったら、手紙でメールでもとにかく言葉にしないと伝わらないので、誰かと関わるときにはそれはし続けないといけない。
 そして、この繊細さを「発達障がい」だとか、「気にしすぎ」だとか否定されたり、感覚を鈍らせようとする(=自分の感覚を否定しようとする)のではなく、そのままで「良いもの」なのだと自分で受け入れ、そしてそれを他者にも受け入れてもらうことこそが幸せにつながるのだということです。

 まずは、自分自身の麻痺させてきた感覚を取り戻し、受け入れることから初めてみようと思います。