映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

「マーベラス・ミセス・メイゼル」

 毎週楽しみにしているラジオ番組(赤江珠緒たまむすび|TBSラジオ)での映画評論家の町山智浩さんによるコーナー「アメリカ流れ者」。
 単なる映画紹介・評論だけでなく、特にアメリカの時勢を絡めて作品が紹介されます。
 その「アメリカ流れ者」の2018年最後の回で紹介されていたのが、映画ではなく、Amazonプライムオリジナルのドラマでした。

町山智浩『マーベラス・ミセス・メイゼル』を語る
 


マーベラス・ミセス・メイゼル (字幕版)

 
作品データIMDbより)
監督・脚本 エイミー・シャーマン=パラディーノ
原題 The Marvelous Mrs. Maisel
放送年 2017年
制作国 アメリ
各約60分、全8話

内容Amazon紹介ページより)
1958年、ニューヨーク。アッパーウェストサイドに暮らすミッジ・メイゼルは、夫や子供たち、そして華やかな食卓のある幸せな日々を送っていた。ところがその日常が大きく変わる出来事が起こり、彼女は即座に生き方を変える決心をする。主婦だった彼女が、コメディアンになるという驚きの決断をするのだ。

勝手に五段階評価(基本的に甘いです)
★★★★★

感想
 1話約60分のドラマ、しかも全8話で合計8時間くらいなので、僕にとっては結構長い話だったのですが、飽きることなく観続けることが出来ました。

 作品の舞台は1950年代のニューヨーク。
 主人公のミッジ(ミリアム)はユダヤアメリカ人で、父はコロンビア大学の数学教員、夫は親戚の会社で副社長をし、4歳になる息子と0歳の娘がいて、「上流階級」の人間です。
 暮らしているマンションのエレベーターにはドアマンがいて、1フロアには1軒で、その家の様子やお手伝いさん(ゼルダ)の存在だけでなく、毎回変わる服装からも、その暮らしぶりが分かります。

 そんな何一つ不自由のない、「恵まれた」生活を送っていたミッジですが、夫ジョールが秘書に浮気し家から出て行ってしまうことから物語が始まります。
 ジョールの趣味(というか夢)はスタンドアップコメディ(字幕では「漫談」)で活躍することで、ミッジも夫が舞台に立つときには一緒に行っていました。

 そして、夫が家から出て行った日(しかもユダヤ教徒にとってはとても重要な贖罪の日)に雨に打たれ、やけになって酒を飲んで酔っている状態で、夫が立っていたバーの舞台にミッジも立ち、スタンドアップコメディを始めます。
 ミッジの話は面白く、しかも、最初はその話の流れから胸を出すので、観客と後にマネージャーとなるバーの従業員スージーに強烈な印象を残します。

 ここからの物語は是非実際に見てもらうとして、僕がとても良いな、とまず思ったのは、町山さんが触れていた「マーベラス・ミセス・メイゼル」というタイトルから分かるように、女性が男性の付属(メイゼルというのは夫の姓で「メイゼル夫人」なので、男性優位ということが分かります)のように扱われていた社会で、「女性」として、しかも女性コメディアンとして認められていくという点だけではなく、上流階級であるミッジとギリギリの生活(僕の家より狭い)を送るスージーとが、その生活の差を埋めないことです。
 スージー金策に駆け回っていることを知っているミッジがスージーにお金を貸そうとすることはないし、ミッジが毎回すごいおしゃれをしていてもスージーは特に何も言いません。
 それは、仕事上の関係だからということもあるのですが、ミッジがスージーと「友だち」になりたいと言ってその関係を迫り、実際に友だちになったあとも変わりません。

 また、もう一つ良かったのは、出て行った夫ジョールとセックスし、復縁するのかという展開になったあとに、舞台でその出来事をネタにするという展開でした。
 その舞台に居合わせたジョールはショックを受けるのですが、セックスするということと、舞台でネタにしてこき下ろすということは、決して矛盾するものではないと思いました。
 一方で愛を語りながら、一方で憎しみを語る。
 人の気持ちというのはそんなに簡単に割り切れるものではないし、それは自分にとって近い存在、重要な存在であればあるほど、その振れ幅が大きいというか、いろんな気持ちが混ざり合うものだと思うからです。

 「男は舞台の上でペニスの話をしても大丈夫なのに、女がセックスの話をすると舞台から下ろされたり逮捕されるのはおかしい」、と指摘するような、ジェンダーを巡る話でもあるのですが、毎回変わるミッジの服装もすごく素敵で、あまり馴染みのないユダヤ教徒の暮らしも分かったり、何よりミッジだけでなく、スージーやミッジの両親エイブ(「名探偵モンク」のトニー・シャルーブ)とローズなど、それぞれのキャラクターも魅力的でした。

 1つ残念だったことがあるとすれば、流れる歌には字幕がなかったことで、多分流れる歌の歌詞から物語に関わるものがあるような気もするのですが、歌だと特に聞き取るのが難しいので、それが分かるともっと作品を楽しめると思いました。