カーソン・マッカラーズ『結婚式のメンバー』
久しぶりに小説を読みました。
(実際は、他にもいくつか小説を読んでいたのですが、いずれも途中で挫折していました。)
結婚式のメンバー (新潮文庫)
カーソン・マッカラーズ、村上春樹/訳 『結婚式のメンバー』 | 新潮社
著者:カーソン・マッカラーズ(McCullers Carson)
訳書:村上春樹
内容(新潮社より)
この街を出て、永遠にどこかへ行ってしまいたい――むせかえるような緑色の夏、12歳の少女フランキーは兄の結婚式で人生が変わることを夢見た。南部の田舎町に暮らし、父や従弟、女料理人ベレニスとの日常に倦み、奇矯な行動に出るフランキー。狂おしいまでに多感で孤独な少女の心理を、繊細な文体で描き上げた女性作家の最高傑作を村上春樹が新訳。
勝手に五段階評価
★★★★☆
感想
この小説を読んだのは村上春樹の翻訳だったからです。
新潮社が村上柴田翻訳堂と銘打って村上春樹、柴田元幸らが新訳・復刊するシリーズを出していて、その中の作品です。
新潮社の本は昨年の『新潮45』の出来事があってから、買うのを控えているのですが、刊行当初(約3年前)に買ってそのまま積ん読していたものです。
小説に関しては感想を書くのが本当に難しいのですが、この作品は12歳の少女フランキーが主人公で、読んでいて、絶対に自分には書けない小説だとひしひしと感じました。
そもそも12歳の少女という存在自体が何を考えているのかを想像することも僕には難しく、僕にも近くに12歳の少女が近くにいたときがあったはずなのですが、物語を読み進めていると、フランキーの行動、言葉に次々に驚かされました。
村上春樹によるあとがきによると、この主人公フランキーには、著者のカーソン・マッカラーズ自身の姿が強く反映されているようなのですが、そのこともさらにこの小説のすごさを感じせるものでした。
12歳という、大人でもなく、子どもとも言えない微妙な、思春期と呼ばれる「多感な」ある意味で普遍的なテーマを、一夏の出来事を通して、普遍的なテーマ、題材だけれども、思春期だとか「多感な」時期だかいう言葉でくくることの出来ない様子を描いていました。
フランキーが、あるいは著者のカーソン・マッカラーズが自分の名前をそれまでの名前から自分自身で名乗った新しい名前にこだわる様子は、最近SNS上で目にした、結婚による改姓によってそれまでの自分から切り離すことが出来たという(主に)女性たちの声(毒親育ちで「親と籍も離れて名字も変わって、1回リセットできたみたいな、生まれ変わったような気分になれた」)と似ているようで、それとの違いも感じました。
日本での結婚による改姓、改姓によるそれまで育った、生きてきた自分(例えば毒親や虐待など)からの解放は、名前が変わることで「新しい自分」になる、という点では同じなのですが、フランキーやカーソン・マッカラーズはあくまでも自分から選び取り宣言したものです。
私はこれまでの自分とは違う、だから名前も違う、という宣言は、著者自身の強さだけでなく、アメリカという土壌が育んでいる強さでもあるように感じました。