映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

ウチヤマユージ『葬送行進曲』

 先日『ダルちゃん』について書きましたが、同じラジオ番組内で紹介されていて、『ダルちゃん』同様、完結している作品だということで手に取ってみました(ちなみに『ダルちゃん』は二巻で完結)。
 

プロが選ぶ2018年ベスト「マンガ」は?【ダルちゃん、えれほん、ほしとんで、見えない違い…】:アフター6ジャンクション
 


葬送行進曲 (コミックDAYSコミックス) Kindle版

 

『葬送行進曲』(ウチヤマ ユージ)|講談社コミックプラス

 

内容紹介講談社ホームページより)
嵐の夜、山道に迷った男は廃屋で一夜を明かす。しかし廃屋と思われたその家には老婆が独りで住んでいた。さらにその家は「よくぞこれだけ!」と思われるほどのゴミに溢れたゴミ屋敷であった。行き場のない男と、どこへも行けない老婆。ワケアリの二人の孤独な魂が共鳴し……。前作「よろこびのうた」では実際にあった事件を題材に日本の問題をあぶりだしたウチヤマユージが、今作でもまた人の心の暗部を優しく掬い、そして救う。

感想
 この作品も『ダルちゃん』と同じくネット上で何話か読めるようになっています。

comic-days.com


 この作品、ラジオでの紹介を聞いた時に興味を持った理由が「ゴミ屋敷」というフレーズでした。
 移動する前のブログには書いたこともあるのですが、伯父(父親の兄)が孤独死し、しかもその家は元々モノが沢山あったのですが(父も兄もモノが多い)、一緒に暮らしていた祖母が亡くなり、伯父だけで暮らすようになると収拾がつかないほどモノが溢れ出し、ゴミ屋敷になりました。

 伯父が亡くなったあと、両親と兄と僕とでゴミ屋敷に踏み入り、業者さんにも頼んで、一緒に片付けました。
 その経験と、父や兄(と僕)は明らかにゴミ屋敷予備軍的要素を持っていることから「ゴミ屋敷」を人ごととは感じられません。

 僕自身はゴミ屋敷の片付けをした経験から、自分の荷物の中で一番多い本を自炊(電子化)することによって、子どもの時から使っている本棚のスペースが余るくらいに減らしたり、何かを買ったら何かを捨てることを習慣化したり、あるいは、なぜ「ゴミ屋敷」になってしまうのかについての本や資料を読むようにしてきました。
 元々の収集性に加え、そこにはセルフネグレクトの要素が加わることによって、ゴミ屋敷になっていくのですが、この作品でも、その様子が描かれています。

 けれど、1冊でまとめているので、全体的に簡潔に描かれすぎているように感じました。
 たとえばゴミを片付ける様子については、単に溢れたゴミを片付けることになっていて、ゴミ屋敷を片付けるということの違いは描かれていませんでした。
 ゴミを片付けることと、ゴミ屋敷を片付けることの違いというのは、例えば、生活に必要の無いゴミが溢れたスペースや部屋は基本的に放っておかれるので、それらのスペースや部屋は簡単に朽ちていくので、ゴミを片付けると、雨漏りだったり、床が抜けたり緩んでへこんでいたりと様々な痛みが現れてくるのです。
 なので、単に溢れているゴミをまとめ片付ける、ということでは、ゴミ屋敷の片付けは終わらないのです。

 あるいは、ゴミ屋敷に至るほどのセルフネグレクトに至っている人は、基本的に人との関係を拒みます。
 自分自身を拒否している、虐待している状態なので、簡単に、人と関わったり、交わったりすることが出来なくなっているのです。

 なので、ゆっくりとその人と関係を築き、セルフネグレクトで大変な状態に置かれているその人をケアしていくことが大切になってきます。
 そのあとで、ゴミを片付けることによって、セルフネグレクトから脱することで、社交的になり、明るくなり、人と関わるようになっていきますが、その最初のセルフネグレクトにある人とどうやって関係を築いていくかが一番難しく時間がかかるにもかかわらず、その点が一足飛びに描かれていたのが残念でした。
 1つの作品としては分かりやすく、「ゴミ屋敷」を扱ったという点でもとても貴重だとは思うのですが、もう少し丁寧に、時間とページ数を使って描かれていれば良かったと感じました。

 ちなみにゴミ屋敷には「ニオイ」の問題もあります。
 ニオイは人は慣れていくので、どんなにひどいニオイの環境にいても、最初からそこにいる本人は全く問題なく過ごせます。
 だから、ゴミ屋敷を片付けるときには、ゴミだけではなく、ニオイとの闘いでもあるのですが、それについても描かれていませんでした。