映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」

 一昨年の公開時から見たいと持っていた作品がAmazonプライムで見られるようになっていたので、早速見てみました。
 


ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書 (字幕版)

 

youtu.be


映画『ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書』公式サイト 9.5[WED]Blu-ray&DVDリリース!

作品データ映画.comより)
監督 スティーブン・スピルバーグ
原題 The Post
製作年 2017年
製作国 アメリ
配給 東宝東和
上映時間 116分
映倫区分 G

ストーリー(公式サイトより)
1971年、ベトナム戦争が泥沼化し、アメリカ国内には反戦の気運が高まっていた。国防総省ベトナム戦争について客観的に調査・分析する文書を作成していたが、戦争の長期化により、それは7000枚に及ぶ膨大な量に膨れあがっていた。
ある日、その文書が流出し、ニューヨーク・タイムズが内容の一部をスクープした。
ライバル紙のニューヨーク・タイムズに先を越され、ワシントン・ポストのトップでアメリカ主要新聞社史上初の女性発行人キャサリン・グラハム(メリル・ストリープ)と編集主幹ベン・ブラッドリー(トム・ハンクス)は、残りの文書を独自に入手し、全貌を公表しようと奔走する。真実を伝えたいという気持ちが彼らを駆り立てていた。
しかし、ニクソン大統領があらゆる手段で記事を差し止めようとするのは明らかだった。政府を敵に回してまで、本当に記事にするのか…報道の自由、信念を懸けた“決断”の時は近づいていた。

勝手に五段階評価(基本的に甘いです)
★★★★★

感想
 原題は「Post」=ワシントン・ポスト紙のことを指しています。
 ワシントン・ポスト紙はワシントンD.C.の地方紙ではあるものの、日本でもよく知られている新聞社だと思います。

 上に載せた公式サイトのストーリーには、日本語タイトルになっている「ペンタゴン・ペーパーズ」、つまり国防総省の文書についてのみ触れられていますが、物語では同時に、夫の死後(自死)、経営を継いだキャサリン・グラハムの様子と、株式公開というタイミングが重なってることも描かれています。

 なのでこの作品のテーマは大きく3つ、「政治に対する報道の役割」、「女性への風当たり」、「経営と報道とのバランス」となっています。
 ペンタゴン・ペーパーズに関してはニューヨーク・タイムズが最初に報じたものの、国からの訴えで、差し止められてしまいます。
 後追いしようとしたワシントン・ポストにも政治的な圧力がかかるのですが、それは直接ではなく、内部の経営陣からの声として出てきます。
 編集主幹のベンに対し、取締役の1人が報道しないように、こんな言葉をかけます。
 

「株式公開や子会社のテレビが危うくなる 放送免許を失うぞ」

「テレビなど知るか」

「新聞より稼いでるテレビを失えば社は売却だ
 政府が勝てば会社は重罪犯 ポストは消滅する」

「政府の顔色を見ろと言うなら ポストはもう消滅したも同じだ」


 政治的な圧力だけでなく、同時に株式公開というタイミングだったことで、株の買い手がいなくなり、会社自体がなくなってしまうと危惧する取締役の考えも分かります。
 「経営」ということを第一に考えたものだったのでしょう。
 しかし、ワシントン・ポスト紙は会社ではあるけれど、新聞社です。
 「報道」が使命の会社にあって、報道しないという判断がありえるのか。

 編集主幹ベンが言う「政府の顔色を見ろと言うなら ポストはもう消滅したも同じだ」という言葉は、日本の報道機関に関わるすべての人に聞いてもらいたい言葉です。

 また、社長であるキャサリン(ケイ)は、創業家一族とは言え、突然の夫の死で社長に就任したこともあり、他の取締役から「軽く」見られている様子も伝わってきます。
 そもそも、取締役たちはキャサリン以外全員が「男」です。

 そんなキャサリン自身が取締役たちを前にして「父の会社ではなく、私の会社だ」と言い切る場面も良かったのですが、印象的だったのは、ベンの妻がキャサリンについて語った言葉です。
 

“ふさわしくない”と皆に思われてる
何度となく“能力がない”と言われ 意見は軽んじられる
まともに相手にされず 彼らには存在しないも同じ
そんな日々が続けば“違う”と言えなくなる


 40年前の、アメリカでの出来事ですが、今も同じような状況に、多くの女性たちが置かれていると感じてします。
 多くの女性たちもそうですが、同時に例えば「非正規」の人たち、あるいは何らかの「障がい」のある人たちも同じです。
 「ふさわしくない」、「能力がない」と軽んじられ、いないかのように扱われていく日々が続けば、「自分の意見」など言えなくなってしまうのです。

 これは多くの「女性」たちが置かれている状況が未だに改善されていないことを表すとともに、女性に限らず、多くの人たちが経験している出来事だと思います。

 最後に、ワシントンポスト紙は国からの報道差し止め裁判で勝ち、ペンタゴン・ペーパーズを報道し続けることが出来たのですが、その裁判での1人の最高裁判事の意見が
印象的でした。

“民主主義における基本的役割を果たすためだ 報道が仕えるべきは国民だ 統治者ではない”

 
 日本の現状を考えると、この基本的役割を一体どのくらいの報道に関わる人たちが自覚しているのでしょうか。
 暗澹たる気持ちにもなりますが、民主主義を守るためにも、それを自覚している報道関係者や機関を応援し続けたいと思います。