映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

「おとなの恋の測り方」

 今回も以前から観たいと思っていた作品で、Amazonプライムで観られるようになっっていたので観てみた作品です。
 


おとなの恋の測り方(字幕版)

 

youtu.be

 

おとなの恋の測り方

作品データ映画.comより)
監督 ローラン・ティラール
原題 Un homme a la hauteur
製作年 2016年
製作国 フランス
配給 松竹
上映時間 98分
映倫区分 G

ストーリー(公式サイトより要約)
 敏腕弁護士のディアーヌは、女たらしの夫と3年前に離婚。だが仕事のパートナーでもある彼とは毎日オフィスで顔を突き合わせるため、口論が絶えない。今日もむしゃくしゃする気持ちで帰宅した彼女のもとに、一本の電話が入る。相手の名はアレクサンドル。ディアーヌがレストランに忘れた携帯を拾ったので、渡したいという。彼の知的でユーモラスな口調に気分も一変、ほのかなときめきを覚えたディアーヌは、さっそく翌日彼と会うことに。久々にドレスアップをして、期待に胸を膨らませて待っていた彼女の前に現れたのはしかし、自分よりもずっと身長の低い男性だった。
 ふたりの距離は急速に縮まっていったが、周囲の反応は穏やかではなかった。ディアーヌにいまだ心惹かれている夫は、相手が背の低い男と知ってショックを受け、アレクサンドルを侮辱する。ディアーヌの母親は、社会的体裁を気にして反対する。そんなムードにディアーヌ自身の心も揺れ始める。自分は周りの目を気にすることなく、この人とつきあって行けるのだろうか。アレクサンドルと本当に心を分かち合えることができるのか。そんな彼女の気持ちを敏感に察知して、アレクサンドルは尋ねる。「僕たちまだ続けられるかな」。彼の複雑な気持ちを垣間見て、ディアーヌの心はますます彼への思いと不安のあいだで引き裂かれて行く―。

勝手に五段階評価(基本的に甘いです)
★★★☆☆

感想
 物語の基本はとてもシンプルです。
 性格はぴったりなのだけれど、見た目が特異な相手と結ばれることが出来るのか、という男女の恋愛を描いたものです。

 極端に背が低いアレクサンドルは136cmということで、周りから奇異な目で見られます。
 彼の仕事は建築家で大きなプロジェクトを任されているし、大きな息子もいるし、車の運転も出来る大人です。

 背の低さを「障がい」として描きたかったのでしょうが、作品中では元の大きさをそのままの比率で小さくしているので、いわゆる小人症のような違和感はありませんでした。
 小人症自体「障がい」と言ってしまって良いのか判断出来ませんが、とりあえず、この作品の中ではアレクサンドルは仕事もこなし、直接描かれてはいませんが女性とセックスも出来、車の運転も出来るので、背の低さがそんなに「障がい」となるのか、いまいち僕には伝わってきませんでした。

 大学時代の知人にアルビノの男性がいましたが、彼はアルビノによって紫外線に弱く、視力が極端に低かったので、それらは生活する上で「障がい」となるような気もしましたが、本人は特に「障がい」と捉えていなかったので、僕も「障がい」とは捉えていませんでした(参照:アルビノの子を産んだ母は、僕をどう育ててきたか | ハフポスト)。
 その知人のように、作中で描かれるアレクサンドルもその背の低さを「障がい」とは捉えている様子がありません。

 なので逆に、なぜディアーヌがそんなにも彼の背の低さを気にするのか、そんなに彼の背の低さを気にしているディアーヌに対して、知的でユーモアにも溢れたアレクサンドルが惹かれるのかが分かりませんでした。

 耳が聞こえづらいディアーヌの継父が「障害は君の心の中にある」と言う場面があるので、「障がい」について考える物語のように見せているものの、結局は、「理想の相手」を巡る物語なのかな、と思いました。
 ディアーヌとアレクサンドルがこんな会話をしていました。

デ「大切なのは私たちで 他の人はどうでもいい
  でも頭に植え付けられた 理想の恋人像を消せないの」

ア「植え付けたのは君だ」

 
 ディアーヌは「背」にこだわっていましたが、結局このやり取りからも「理想の恋人像」とのズレで悩んでいることが分かります。
 相手の収入や年齢、学歴、容姿等々、「理想の」恋人やパートナー像というものを持っている人がいることはよく聞きますし(と言っても、実際の知り合いからその手の話を聞いたことは男女ともにありません)、目の前にいる相手が、その「理想」に足りない所があるときにどうするのか、ということを描いてるのかなと。

 作品の最後でディアーヌがこんなことを言います。

でも分かったの 人がどう思うかは関係ない
誰を愛するかは私が決める 私の人生よ

 
 それに対して、アレクサンドルがどういう態度を取ったのか、是非観てみてもらいたいのですが、僕にはとても悲しい感じがしました。
 それは、「人がどう思うか関係ない」と言っているディアーヌ本人が一番「理想」とのズレに悩んでいたからです。
 ディアーヌ自身が「背の低さ」を「障がい」に感じていたのに、「人がどう思うか関係ない」というのは違うんじゃないかな、と。

 ちなみに僕がこの作品で一番「障がい」を感じたのは、背の低さではなく、年齢差(というか子どもの有無)です。
 お互いの年齢は見た目からしか分からないものの、一方には成人している子どもがいて、一方は結婚経験はあるけれど子どもがいません。
 成人している子どもがいる相手と結婚するのは、もし子どもを授かりたいと思っている女性にとっては結構大きなハードル(「障がい」)なのではないかと思います。
 でもそれをハードルと感じるのは、日本とフランスという文化の差によるものなのかも知れません。