映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

「しゃぼん玉」

 年明けに、出演している市原悦子さんが亡くなったからか、Amazonプライムで観られるようになっていた作品です。
 レビューの評価も高かったので観てみました。
 


しゃぼん玉

 

youtu.be

 

映画『しゃぼん玉』

 

作品データ映画.comより)
監督 東伸児
製作年 2016年
製作国 日本
配給 スタイルジャム
上映時間 108分
映倫区分 G

 

ストーリー(公式サイトより)
親の愛情を知らずに育ち、女性や老人だけを狙った通り魔や強盗傷害を繰り返してきた伊豆見翔人(林遣都)。
人を刺し、逃亡途中に迷い込んだ宮崎県の山深い椎葉村で怪我をした老婆スマ(市原悦子)を 助けたことがきっかけで、
彼女の家に寝泊まりするようになった。初めは金を盗んで逃げるつもりだったが、
伊豆見をスマの孫だと勘違いした村の人々に世話を焼かれ、
山仕事や祭りの準備を手伝わされるうちに、 伊豆見の荒んだ心に少しづつ変化が訪れた。
そして10年ぶりに村に帰ってきた美知(藤井美菜)との, 出会いから、自分が犯した罪を自覚し始める。
「今まで諦めていた人生をやり直したい」
――決意を秘めた伊豆見は、どこへ向かうのか…。

 

勝手に五段階評価(基本的に甘いです)
★★★★☆

感想
 原作は乃南アサさんの小説(『しゃぼん玉』)だそうで、僕は未読ですが、そちらのレビューも高く、映画も評価が高いので、物語として、多くの人に訴えるものがあるのだと思います。

 映画の冒頭が強盗のシーンから始まるので映画の表紙から想像していたほんわかとしたものではなく面食らいましたが、難しい点はなく、ひったくりや強盗で暮らしていた青年伊豆見が、脅しで使っていた刃物で、実際に人を切りつけてしまい動揺し、逃亡した先でスマさんと出会う、というものです。
 スマさんにとっては伊豆見が命の恩人となることから、一緒に暮らすようになり、それが村の中でも知られるようになり、若者ということで受け入れられ、伊豆見自身も自分のしてきたことに向き合えるほど回復していきます。

 自分がした罪に向き合い、償った上で、戻る場所がある、ということは、どんな人生を送っていても「やり直せる」というメッセージとしてはとても良いのですが、僕のシンプルな感想としては、こんな状況に巡り会える環境が今の日本にどれだけあるだろうか、ということです。

 伊豆見が自分の罪に向き合えるようになったのは、そもそもスマさんやしげ爺が受け入れてくれ、村の人たちから必要とされたからです。
 受け入れられ、必要とされることはどんな人にとっても必要で大切なことなのですが、そういう場がどれだけあるか、人々に誰かを受け入れ、必要とする余裕がどれほどあるかというと、自分を含めて、中々難しいような気がします。
 特にこの作品では、若者だったからまだ受け入れられたものの、中年や高齢だったら、周りの人は受け入れ、必要としたかどうか。

 こういう、誰かにとっての帰る場を作ろうとしている人は沢山いますが、僕も少しでもそういうことが出来れば良いな、と思います。