映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

「グラン・トリノ」

 先日の 「ヒア アフター」に続き、クリント・イーストウッド監督作品で観ていないものを観ようと思い探していたら、観たことがある気がするけれど、内容の記憶が無かったのと、記録も残っていなかったので、Amazonプライムで観てみました。
 結果的に途中から観たことがあることに気付いたのですが、ラストシーンを思い出せなかったので、そのまま観続けました。

 


グラン・トリノ (字幕版)

 

youtu.be

 

【ワーナー公式】映画(ブルーレイ,DVD & 4K UHD/デジタル配信)|グラン・トリノ

 

作品データ映画.comより)
監督 クリント・イーストウッド
原題 Gran Torino
製作年 2008年
製作国 アメリ
配給 ワーナー・ブラザース映画
上映時間 117分

 

ストーリー(公式サイトより)
妻に先立たれ、一人暮らしの頑固な老人ウォルト。人に心を許さず、無礼な若者たちを罵り、自宅の芝生に一歩でも侵入されれば、ライフルを突きつける。そんな彼に、息子たちも寄り付こうとしない。学校にも行かず、仕事もなく、自分の進むべき道が分からない少年タオ。彼には手本となる父親がいない。二人は隣同士だが、挨拶を交わすことすらなかった。ある日、ウォルトが何より大切にしているヴィンテージ・カー<グラン・トリノ>を、タオが盗もうとするまでは――。
ウォルトがタオの謝罪を受け入れたときから、二人の不思議な関係が始まる。ウォルトから与えられる労働で、男としての自信を得るタオ。タオを一人前にする目標に喜びを見出すウォルト。
しかし、タオは愚かな争いから、家族と共に命の危険にさらされる。彼の未来を守るため、最後にウォルトがつけた決着とは――?

 

勝手に五段階評価(基本的に甘いです)
★★★★☆

感想
 クリント・イーストウッドの作品の良いところは、欠けたり弱い部分がある人間を、その欠けたり弱い部分を受け入れ、それが強みにもなるということを伝えてくれる点だと思います。

 今回の「グラン・トリノ」の主人公ウォルトも朝鮮戦争で10人以上も「自分の意志」で殺した経験があり、妻が亡くなったあと、息子たちからも煙たがられ、世間との接点も殆どなく、口もかなり悪い「厄介者」です。

 そんなウォルトとモン族をルーツとするタオ一家が隣に越してきたことで交流が始まります。
 タオの年齢も分からないのですが、同じ街に住んでいるモン族の男たちはギャングになっていて、女性たちは大学に行っているとのことで、ギャングになることもないけれど、学校にも通わないタオは今後どのように生きていくべか模索しています。

 そんな中タオを強引に仲間に引き込もうとするギャングたちと、その中でタオを救い出すことになったことからウォルトとの交流が始まります。
 タオや姉のスーだけではなく、他のモン族の人たちもウォルトと親しくなっていくのですが、面子を潰されたギャングたちはタオとその家族への攻撃を段々と過激にしていきます。

 この、暴力が少しずつ過激化していく様子の描き方がこの作品ではとても印象的でした。
 目の前の出来事にただ立ち向かっているだけだと思っていたら、いつの間にかものすごい暴力の中にいるということはあらゆるところで起きています。
 そしてそれをどうやって止めるのか、ということへのクリント・イーストウッドの答えがこの作品では描かれていると思うのですが、でもこれ以外にエスカレートしていく暴力を止める方法がないような気もして、そうすると、ものすごく悲しい現実を突きつけていると思います。

 1度始まってしまった暴力は悲劇的な方法でしか止めることが出来ないのならば、いかに暴力を始めさせないか、暴力に発展させないかということに力を入れないといけないのだろうと思います。